<インターネット>の次に来るもの-未来を決める12の法則(著:ケヴィン・ケリー)を読みました

著者は元ワイアードの編集長。
今現在インターネットやコンピューティングについて作用している技術的傾向を分析・分類し、それが今後どのような帰趨をもたらすか、避けがたい未来(原題は THE INEVITABLE)はどのような姿かを素描した一冊。

 

「自分も自分を取り巻くモノや環境もデータ化され、ネット上にストックされるようになった。しかも潤沢にあり過ぎてスマートマシンの助力なしには選べない。今や最も希少なのは人間の経験とアテンションである。この傾向は今後ますます加速していく。今は避けがたい大きな変動の始まりの時期である。」(138字)

 

キーワードとして現在進行形の12個の動詞が挙げられているのですが、個人的にもっとも興味深かったのは FILTERING の章。

選ぶ側の人間からしたらフィルタリングであることも、選ばれる側からしたら人間のアテンションの奪い合いであって、それを仲介するプラットフォーム・サービスとしてはまだまだ未開拓の分野がいっぱいあるとのこと。

一例として挙げられていたのが、メールを読むことに対して課金できるサービス。
ある文脈で影響力が高い人(インフルエンサーであるなど)には、高い料金を提示してでもメールを読んでもらう価値がある場合がある。
友人やネットワークへの影響力が測れるようになってきた今なら、こんな仕組みも作れるんじゃないかと構想されてました。

それとコモディティー化した対象へのアテンションは低い価値しか持たないが、希少性の高い対象へのアテンションは高い価値を持ちうるという指摘もされていました。(言われてみれば当たり前ですが)
テクノロジーが発達するにつれモノはどんどんコモディティー化していく一方人間の経験は唯一希少性が高いものとして残っていくだろうと著者は指摘していて、そうであれば経験に対するアテンションを獲得するサービス・プラットフォームはいいビジネスになるのかもしれません。

 

それとこういうフィルタリングが進むと逆に問われるのは、自分はいったい何者か、何を望んでいるのかという問いで、過去の自分の選択を知っているフィルタリングは自分を映す鏡のような存在になっていくのでは、という指摘もされていました。
だからテクノロジーが人間を画一化しコモディティー化するという恐れは間違っていて、むしろパーソナライズされていくフィルターを使うことで自分自身も形作らていくのである、というのは新しい見方でした。

 

大著につき一読しかしていないのですが、カバーしているトピックが幅広いこともあり、時を置いて二度・三度読むとその時々で違ったインスピレーションが得られそうな本だと思います。

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

 

 

LIFE SHIFT(著:リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット)、自分の時間を取り戻そう(著:ちきりん)を読みました

急ぎのそこそこ重要な案件に追われるあまり、急ぎじゃないとっても重要な案件に手がつけられていないんじゃないかーー。
そんなそこはかとない不安をじわじわ感じることってないですか?
自分にはあるのです、時々。いや、実は結構ひんぱんに。

そういうときいつもどうにかしたいと思うのが、いかに単位時間当たりの生産性を上げるかということと、いかに時間軸を長くとって考えられるか、ということ。

そんな問題意識にこの2冊がストライクだったので間を置かず続けて読んでみました。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

 

両書通読した結果をすごく縮めていうと、「リソース(主に時間とお金)の配分にとっても自覚的になろう」ということで、それだけ取り出せばごく当たり前のことなんですが、LIFE SHIFTの方で100年生きる前提での配分先の新しいフレームワークが示されていたので、がっちゃんこしてみると自分が何にもっと自覚的じゃなきゃいけなのか、をとっても印象付けられた感があります。

特にお金以外の目に見えない資産として、①「生産性資産」=お金の稼得能力に関わってくる知識・スキルや評判など、②「活力資産」=体力・健康や友人関係、③「変身資産」=自己理解・多様性のあるネットワーク、の3種類があげられていて、100歳ライフをハッピーに生ききるためにはこの3つをともにお手入れしていかなければならないと指摘されています。
なぜなら余生(その始まり自体遅くなるのですが)の資金作りのためにも、また健康寿命を張りを持って生きるためにも、今までよりはるかに長く働き続ける必要があって(単に仕事をするというだけに限らず、社会に関わり貢献していくという広い意味で)、それにはキャリア途中での転身もほぼ確実にあると思って備えなければいけない。

 

 目の前の仕事・作業に埋没してはいけないとは思っていたのですが、じゃあ何が・なんで・どのくらい足りないのかを考える視点をもらったような気がします。

あっちへフラフラこっちへフラフラするのも、どの資産を伸ばしているのか自覚的であればむしろいいことなんだ!
と都合よくうそぶいてみたりして~。

「アラー世代: イスラム過激派から若者たちを取り戻すために」(著:アフマド・マンスール)を読みました

ドイツでソーシャルワーカーとして、イスラム過激派に走りそうな(走った)子を持つ親たちの相談に乗ったり、学校に出向いてワークショップを行ったりしている著者が、なぜ子どもたちが過激派に取り込まれるのか、それを予防し取り戻すためになにをすべきか説いた一冊。
心理学のバックグラウンドをもつ著者だけあって、過激派に走る若者たちの心理的要因も考察されているのが珍しいと思います。しかも自身も一時期ムスリム同胞団の活動に参加した元過激派という経歴の持ち主なので、なおのこと筆致に説得力があります。
それと、ドイツでサラフィズム(原始イスラム教に一言一句たがえず忠実にあろうとする、原理主義的一派)がどのくらい間近に迫った存在と感じられるのか、という視点でも興味深く読めるんじゃないでしょうか。

 

イスラム過激派に取り込まれている若者のうち実際に暴力行為に及ぶ者は氷山の一角で、宗教的不寛容やハラル・ハラムの硬直的厳守など、サラフィズムの傾向を示す者の裾野ははるかに広い。ドイツの民主主義を守るため、心理的・社会的要因をよく理解し、包括的な対策を早急に取らねばならない。」(136字)

 

著者によると、ドイツにおいてサラフィストの方が優れたソーシャルワーカーになってしまっているケースが見られるそうです。

サラフィストたちは心理的・社会的要因によって人格構造が不安定な若者の脆弱性をよく理解しており、絶対的に帰依することができ、また帰依することによって帰属集団や他人に対する優越感を手に入れることができる対象を提供することで、若者たちに巧みに近付き自分たちの勢力に取り込むことに成功している、と分析しています。

実際、ドイツの学校で、(実際にはそうは言わなくとも)肌を露出すべきでないという理由で多くの女子生徒がプールを欠席するという現象が多数あり、ローンウルフとしてテロに走ったり、シリアにISに参戦しに行くという極端な形ではないにしても、イスラム過激派に取り込まれつつある若者たちの裾野は広がっているんだそうです。

何かに一途に帰依している人たちの伝道・勧誘にかける熱意と緻密さというのは本当に強烈なものがあり、それが押しとどめがたい勢いを持つことも想像に難くはありません。
多分これは、特殊利害を持つ人たちの声が通りやすく、広く薄い一般利益は守られないという、貿易と関税を巡る政治でも見られるケースによく似ている構造なんだろうなぁと思います。
ただ関税の場合とは違って、原理主義は他者に対する不寛容性を伴いやすいので、個々は広く薄い利益しか持たないその他大勢の方でもきちんと手を打たないと手遅れになりかねないのが怖いところ。


ポピュリズムの台頭など特殊利益を求める声ばかり大きくなる今、こういう広くて薄い一般利益をどう守っていけるかというのが、グローバルにもナショナルにも求められているチャレンジなんじゃないかと思いました。

 

アラー世代: イスラム過激派から若者たちを取り戻すために

アラー世代: イスラム過激派から若者たちを取り戻すために

 

 

 

「移動」の未来(著:エドワード・ヒュームズ)を読みました

ドア・トゥー・ドアが当たり前になった今の「モノの移動」の話から、既存のインフラ・移動手段の限界、ライドシェアがもたらす「ヒトの移動」の変化、そして自動運転車の破壊的影響まで、広く目配りが行き届いた一冊です。

ベースになっているのはアメリカの「移動」事情ですが、多かれ少なかれ他の国にも広く当てはまるんじゃないでしょうか。

 

「既存の交通システムは、膨大な死傷事故を伴い、港湾・道路を混雑させるなど、持続不可能になりつつある。しかし現在生まれつつあるライドシェアや自動運転車は、人間が運転する個人所有の車を置き換えて事故を減らすと共に、道路容量に空きを生みモノの移動もスムーズにする可能性がある。」(134字)

 

本書前半では「モノ・人の移動の今」が描きだされています。
生産体制のグローバル化が進んだ結果、最終消費財が私たちの手元に届くまでにいかにモノが長い距離の移動を経ているか。
ネットショッピングの普及が戸口配送をいかに増加させているか。
そして人がいかに個人所有(一家に一台以上という意味も含めて)の車で移動しているか。

その結果、港湾や道路といった交通インフラは混雑し、過剰な通行量が大きな負担をかける結果、常に拡張や補修投資の必要に追われ続けている。
モノも人もラストワンマイルは「車」で移動するため、道路は「車」に占拠され、交通事故も絶えない。

そして最後の数章で、ライドシェアの広がりや、自動運転車の開発が、これら既存の交通システムを一変させうる、しかも問題を解決しうる、いかに破壊的なイノベーションになりうるか、の可能性を検討・紹介しています。

 

確かに、ほとんど稼働しない個人所有の、人間が運転する車というのは、もはや本人にとっても社会にとっても余りにムダが多く、しかも危険なビークルで、車に取って代わられた馬のような存在になっていくに違いない、と思わせるに十分な議論でした。

未来は絶対こっち(自動運転車のシェアライド)に向かうと思うんだけどなぁ。いつ来るかなぁ。

 

「移動」の未来

「移動」の未来

 

 

TED TALKS(著:クリス・アンダーソン)を読みました

トークイベントの作り方の参考にと思った一冊でしたが、内容は登壇者のトークの作り方・心構えについて書かれた本でした。

「パブリックスピーキングは聴衆の頭に新しいアイデアを植える贈り物のようなものだ。それを効果的に行うハウツーは色々あるが、最も大事なのは弱さも含めて自分らしくあり、聴衆と絆を築くことだ。知識を統合し、相互理解を深め、世界をよりよくするため、パブリックスピーキングはますます重要になる。」(140字)

そういうつもりで読んだんじゃないのですが、読み終わったらパブリックスピーキングをしてみたくなりました。
特に心に残ったのがこの二節。

「世界を動かす力が自分たちにあるとみんなが自覚しているような未来を、僕は望んでいる。価値あるアイデアの種を植えることは、ひとりの人間が与えられる最高のインパクトだ。なぜなら、アイデアの種がきちんと植えられれば、つながりあった世界の中で、それは自然に広がるからだ。それが現在と未来に影響を与える人の数は限りない。」

「お互いへの深い理解によって人間同士が親しくなるにつれて、人は、お互い大切に思うことをそれぞれの視点で見ることを学ぶだろう。そうなれば壁はなくなり人々の魂はひとつになる。
それはすぐには起きないし、簡単でもない。このような変化には数世代が必要だ。もちろんそれを台無しにするような悲劇もたくさん考えられる。でも、みんながひとつになる可能性は絶対にある。」

さて、自分にギフトとして差し出せるトークのネタ、コアになるアイデアがあるかしら?

うん、きっとある。

一回ちゃんと形にしてみよう。
ぼたもちは棚の下にいる人にしか落ちてこないもんね。

 

TED TALKS スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド
 

 

「外来種は本当に悪者か?」(著:フレッド・ピアス)を読みました

むむー、またしてもフレッド・ピアスにやられた!
生態系、環境保護についてもっていた古い先入観をアップデートしてくれる良書でした。

 

外来種は既存の生態系を乱す悪者扱いされる。しかし生態系は元々変化を常とするダイナミックなもので、あるべき元の自然という概念が既に空論である。環境保護は変化に耐えられず退場していく歴史ある自然を守るのではなく、変化に適応する新しい自然、ニュー・ワイルドを助長する方向に転換すべきだ。」(140字)

 

フレッド・ピアスは自分にとっては「水の未来」の著者。
この本でバーチャル・ウォーター(仮想水:製品の移動に伴って、製造過程で使用される水も移動してまわるという考え方)という概念の存在を知り、中東の紛争の一因が水資源であるということを知り、同書前と後で世界の見方が変わったといっても過言ではありません。
そしてこの本も同じくらいひっくり返る本でした。

 

 普通「外来種」と聞くと、いかにも外から侵入してきて、元々その場所に棲んでいた動植物を押しのけ、自然のバランスを崩す悪いヤツ、というイメージがあると思います。
でも本当に外来種は悪さをしているのか?
人為的な理由、その他の理由で、もともとそこにいた動植物が棲めなくなってできた空白にうまくフィットしただけなんじゃないか?
そう問う著者は、実際外来種が定着するのは、在来種が棲めなくなった一見シビアな環境であるという実例を豊富に紹介しています。(その一番極端なケースはチェルノブイリ!)さらに外来種はその土地の生物多様性を高め、在来種の生息環境を提供するなどむしろいい働きをすることもあると指摘します。

 

 そもそも、守るべき在来種や自然のあるべき姿は、外来種やそうでない自然の姿とはっきり区別できるのだろうか?
在来種とされているものの多くも時間軸を伸ばしてみれば外からやってきたものであることが多い。自然の姿も、不断に変わり続けていて、今がたまたまそうであるというものに過ぎない。昔習ったような遷移・極相(ある更地が自然に覆われていく時、その場所の属する気候帯に応じて、一定の法則・順番をたどり安定的な自然環境に辿りつくという考え方)というのは、実態にそぐわない。
手つかずの自然というのも空論で、アマゾンの奥地でさえ過去に人間が手を入れていたという証拠が発見されている。

それなのに、自然をある一定の、それはしばしば自分たちが理想的と考える・親しみを感じるような状態、に留めておきたいというのはあくまで「文化的な選択」であって、自然を箱庭のような状態に押しこめる介入主義的な姿勢に過ぎないと断じます。

 

自然はもっとタフで、柔軟で、ある意味機会主義的にサバイブしていく(それがたとえ都市の中の廃工場跡などであっても)、そうして外来種、さらには人間(とその活動・自然への介入)も含んで形成され、変化していく自然環境をニュー・ワイルドと呼び、今後の環境保護はニュー・ワイルドを対象としていくべきと主張しています。

 

まさに環境保護についての地動説みたいな逆転の視点で、新しい視界をもたらしてくれてありがとう、という感じです。

 

それにしても、この外来種に対して抱いてしまう根強い毛嫌いの気持ち、人間に置き換えた時の差別にもつながるものがあるような気がして、うすら寒い感覚を覚えました。

私たちの伝統ある・正当な自然環境はかくあるべし、それを乱すような外来種は排除すべし、という姿勢。自分たちの社会・文化はこうあるべきで、それにフィットしないような外来者(例えば移民とか、その他社会でマージナライズされた人たち)は排斥すべし、という主張。
ほら、気味悪いくらいに相似形な感じ。優生学みたい。

ちなみに、在来種を排除すると生物多様性が下がり、交雑が進まなくって、進化のスピードが落ちるそうです。人間の社会も、多様性を受け入れられなければ、イノベーションが起きにくくなると言われています。

自然は余計な手出しをしなければ、個々の個体が隙あらばと越境していって(淘汰を逃れられれば)それこそナチュラルに交り合っていくそうですが、果たして人間の場合はどうでしょうか…

 

外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD

外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD

 

 

「日本の家屋と生活」(著:ブルーノ・タウト)を読みました

年明けてから日本の民家についての本を立て続けに読んでいたのですが、本書で一区切り。

 

「1933~36年日本に滞在した著者が、日本の建築特に民家の特徴と背景にある文化・生活を、個人的経験という形で論じた書。自然と親しみ質素なことが日本本来の生活・建築のスタイルであるとし、過剰な装飾や西洋の単純な模倣を戒めつつ、余りに素朴な建築の状況を批判し防火や都市計画の必要性を指摘する。」(140字)

 

著者ブルーノ・タウトは、外国人の目線から日本の伝統美を再発見したと評されているドイツ出身の建築家。名前は聞いたことありましたが、日本にも3年いらしたんですね。
『犬と鬼』のアレックス・カーさんや、『新・観光立国論』のデービッド・アトキンソンさんの大先輩みたいな方かな、と理解しました。

 

驚くほど簡素で開放的な造りの日本の民家は、日本の風土に合わせて形作られてきた人々の思想・文化・生活様式と不可分な関係にあり、そこに暮らす人たちにすれば合理的でかつナチュラルな様式美を備えた建築である、というのが本書を通じて繰り返し語られるテーマだったと思います。
著者にかかれば、世界遺産に指定されている日光東照宮でさえ、過剰な装飾が施された「いかもの」とばっさり切られ、外見的なシンプルさと裏腹に来訪者に哲学的な世界観や自然観を看取させる精緻な心配りが凝らされた桂離宮にこそ、日本の伝統美が見出されるとしています。

 

日本が持っているオリジナルな価値ある美とはいかなるものかについて知ろうとする時、外国出身の方の見方・意見というのは、アウトサイダーであるがゆえに客観的に見えるポイントがあるので、絶対傾聴に値するものだと思っています。
本書は80年以上前の著作ですが、その頃から指摘されていることは変わっていないんだなぁと感じます。

 

こういう、いわゆる禅的な「和」の美が繰り返し指摘される一方で、ここ数年世界モテするとしてもてはやされてきたのは、アニメやマンガなどのオタク文化でした。

この関係はどう考えたらいいんだろう?
知らないだけかもしれませんが、まだあまり両者が交わるような作品?題材?は出てきていないような気がします・・・

どうかそれが、巫女さんとtea ceremonyができるVRソフトとかじゃありませんように!

 

日本の家屋と生活

日本の家屋と生活