フーコーの美学:生と芸術のあいだで(著:武田宙也)を読みました

アートって何だろうということをぼんやり考えていた時に、人はそれぞれ形は違うけれども何かを表現しながら生きているんじゃないだろうか、いや、逆に全く同じ人が二人といないのであれば、生きていること自体すでに何らかの表現とも言えそうだよなと思うようになりました。

そんな折、フーコーが示した理念の中に「自らの生を一個の芸術作品にする」というものがあると知り、いつか関連書を読んでみたいなぁと考えていたら本書を見つけたので手に取ってみました。

 

結果から言ってしまうと、本書はフーコーの思想全体を「外」という概念を軸に再解釈しようと試みている一冊で、原典に当たったことがない自分が読みこなすにはちょっとハードルが高かったです。。。

それでもこれかなぁと掴んだポイントはこんな内容でした。

 

-外にあって取り込む真理と、練り上げる素材としての自己双方に不断に配慮し続け、身体的実践を重ね変容させていくことが生存の美学である

-芸術という創造の営みは、真理を現前させ、創造者と鑑賞者双方を変容させる力を持つ

 -だから生存の美学を実践することは、自らの生を一個の芸術作品にすることに通じている

 

なかなか難解な内容でしたが、使われている言葉や、概念の配置関係から、多分こういうフィールドで論考がなされるんだろうなぁというイメージはつかむことができたような気がします。

いつか時が来たら原典も読んでみたいと思います。

 

フーコーの美学: 生と芸術のあいだで

フーコーの美学: 生と芸術のあいだで

 

 

新築がお好きですか?日本における住宅と政治(著:砂原庸介)を読みました

日本の住まうことにかかるコストが高いのは、今の広義での「制度」的環境を前提とすると各主体の合理的選択として新築住宅を売買することが均衡点になる(そしてそこから逸脱すると不利を被る)からだ、ということを諄々と説いている一冊です。

 

広義の「制度」として取り上げられているものには例えばこんなものがあります。

1.法律・条令・・・住宅ローン減税といった税制や緩い土地利用制限しか課せない都市計画法、都市内での個別的利益が代表されやすい地方議会の選挙制度、借家人の権利をとても強くしている借地借家法など

2.取引費用・・・売買 vs 賃貸・新築 vs 中古で異なっておりそれぞれ売買、新築が有利

3.政府の介入・・・賃貸が行き詰まり結果的に新築購入の支援に傾いていく

4.文化・慣習・・・空き家になっても二次流通をためらわせる要因になっている

 

それぞれの詳しい内容・影響については本書で分かりやすく解説されているのでぜひそちらをお読みいただくとして、読み終わって改めて感じたことは、住宅をサービスとして考えたときに (=購入・賃貸、新築・中古に関わらず住まうことをサービスとして享受するとしたとき)、移動可能性という面でも社会福祉という面でも、もっと連続性がありポータブルな公的補助が必要なのではないか、ということでした。

購入した不動産に資産性があるならなおのこと住宅ローンにだけ減税措置があるのは正当化が難しいし、むしろ資産として残らない賃貸の方にこそ手厚い補助(例えば家賃補助)がなされて然るべきじゃないかとか、そもそも新築住宅を買える層(いくら低金利の恩恵や銀行側の貸し出し競争があるとは言え)にだけ優遇措置があるのは制度として逆進的じゃないかとか、これだけ地方移住だ多拠点居住だと言われている中で移動を困難にする新築購入にだけ優遇措置をつけるのか、とか、とにかくどっち向いても融通利かなすぎなんじゃないでしょうか。

「制度」は人々の選択と循環的にお互いを強化するので一朝一夕に変わらないのは確かだと思いますが、著者も指摘する人口減少や、働き方・居住場所の自由度を求める傾向の強まりから人々の選択が変わってきてそれが「制度」を変える可能性はあるのかもしれません。

 

ちなみに、最近住宅・店舗のリノベーションによる再活用が盛り上がりを見せていますが、本書を読むとそれがどれだけ社会的意義がある取り組みなのかを感じられると思います。

 

それにしても、あとがきでも本書の執筆に至った経緯に少し言及されていますが、「なんでやねん!」と感じた個人的憤りを飲み屋のくだまき話に終わらせず、研究の糧として著作にまで昇華させて回収した著者は根っからの研究者だな、と改めて感服しました。

 

 こういうその人ならではの物事や出来事の見方・捉え方のクセって、研究者の人には特に強くあるような気がします。それを可視化する場って面白そう。いつか機会を作りたいなぁ。その時にはぜひ本書著者にもご登壇をお願いしたいと思います。

 

 

 

新しい分かり方(著:佐藤雅彦)を読みました

Eテレピタゴラスイッチ」の監修を手掛けていらっしゃる方の本と新聞の書評欄で見かけて読んでみた一冊です。

著者の佐藤雅彦さんは、電通ご出身でその後独立、メディアクリエーターとして多方面に活躍され(だんご三兄弟バザールでござーるなど!)、今は慶應と東京藝大で教授も務められています。

 

なんでこの本を作ったのか、どんな狙いを込めたのか、というのが本書の「あとがき」に書かれていましたが、それがとっても素敵でした。

いわく、「初めてなのに、とてもよく分かり、その場で使いこなせる。しかも、その能力を使えば、今後生きること自体に前向きになれる。」そういう「まだ発現の機会を与えられていない生得的能力」が発現するのを促そうとして、この本を著したのだそうです。
だから、この本には、「こんなことが自分に分かるんだ」とか「人間はこんな分かり方をしてしまうのか」ということを分かるための機会をたくさん入れたのだそう。

 

そういう後に残る余韻というか、財産というか、を考えて作品を作る、エンパワメントを目的としたクリエイティブって、制作の動機としてとても素敵だなぁと思いました。

 

ちなみに本書の構成は、前半に上記のような「新しい分かり方」を体験する作品が並んでいて、後半に開設を兼ねた随想が続き、最後にあとがきがあるという流れになっています。

作品を体験してから随想・あとがきを読むのもいいですが、「あとがき」を先に読んでマインドセットしてから読み進めるのもよさそうです。

 

ひとつひとつの作品の体験が面白くて、あっという間に読み進んでしまう本でした。

ぜひご自身でも体験してみてください!

 

新しい分かり方

新しい分かり方

 

 

道徳感情論(著:アダム・スミス)を読みました

本書にも序文を寄せているアマルティア・センの著作で言及されていたのがきっかけで読んだ一冊です。ナイーブな合理的経済人を前提することが批判を受けることが多くなった昨今、市場主義や自由放任主義の元祖?のように言われるアダム・スミスは決してそのような考え方の持ち主ではなかったとセンは指摘していて、果たしてどんな思想を持っていたのか気になって読んでみました。

 

本書を読むと、確かにスミスは「人は自分の利益だけを追求していればいい」という主張を行っているわけではないことが分かります。

ことの良しあし・認否を決めるのは、中立的な観察者を想定したとして、共感を得られるかどうか、にあるというのがスミスの主張の眼目だと思いました。

正義、ことにそれを明文化しようとする法律・制度も後追い的に追認するだけで、まず確かなのは体感として湧き上がる感情であるとも言っていて、経済学で登場するよりも倫理・感性的な色彩が強い思考空間にあった人だったんだな、と感じます。

 

一方、そう捉えられかねないと思わせる主張もやはりあって、それは共感を得られるような望ましいあり方というのは今置かれている環境・境遇によって異なっていて、だからこそまずは自分に近しい家族、階級、祖国の人たちのことを考えればよい、それ以上は全能の叡智の領域である、とするような主張です。

すぐに思い出したのはブルデューの「ハビトゥス」の概念で、スミスはあたかも階級が再生産されるのはやむを得ない、それを粛々と受け入れて分相応のよしとされるべき姿めざして進むことに喜びを覚えるべしと説いているような内容が見受けられました。

現在ある制度を一変させるような抽象的な主義や、同心円の遠方にある人たちにも普遍させるような理念についてはこれを退け、極めて保守主義的な立場を取っていたのだな、と感じさせます。

 

限定合理性の方に近い見方をしていたという意味では市場主義や合理的経済人の元祖というのは一面的な評価に基づくように思いますが、だからと言ってリベラルに行くわけでもなく、スミスの視点がどこから発していたかと言えばより倫理性の強い保守主義であった、というのが本書を読んで自分が得た印象でした。

 

道徳感情論 (日経BPクラシックス)

道徳感情論 (日経BPクラシックス)

 

 

贈与論(著:マルセル・モース)を読みました

 新しいお金の話の本を読んだとき、お金を媒介した売買取引以外の交感について言及される中で取り上げられていたのがきっかけで本書を読みました。

 

贈与や交換が社会的にどのような意味を持っているのか、要素に分解することなくあくまで全体的な性質として説明を試みている一冊で、ポリネシアメラネシア、北米、古代ローマなど、地理横断的・時代横断的な比較を行ったうえで分析を加えています。

 

特に南太平洋でのケースとして取り上げられていた「ポトラッチ」が印象に残ったのですが、「ポトラッチ」は持てる全てといっていいくらいの贈与行うことで相手を圧倒し、覇を競うという性格を持っていたのだそうです。

「ポトラッチ」を勝ち抜くことは、集団内部にもそれだけ多くの分配の元をもたらすことになるので、その集団の首領にすれば力(パワー)の淵源にもなります。

 

溜め込むのではなく、集団の中に対しても外に対しても気前よく配れば配るほどパワーを手にしていくというのは、今自分たちが普通に慣れてしまっている社会の慣行とはある意味真逆であるようで面白かったですが、ふと、もしかしたら今の社会でも同じようにスルーを増やす人が情報や人と人の繋がりの結節点になって、いわゆるソフトパワーを備えることにもなるのかもしれないと思ったりもしました。

 

贈与といっても深奥にはいろいろな思惑があって、贈ったり・受けたりで結ばれる関係がどんなものかよく目を凝らして見てみないと、ナイーブにいい・悪いとは言えないんだなぁ。自分が確信犯的にそれをするのはちょっと気が引けるけど・・・。

 

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

 

 

インド哲学10講(著:赤松明彦)を読みました

イスラムの本は昨年だいぶ読んだのですが、そういえばインド・ヒンドゥーの世界観ってあまり触れたことがないなと思い読んでみました。

 

インド哲学における「存在と認識」 の捉え方について解説している一冊です。

 

ざっくりとらえたところでは、インド哲学では根源的な一者が全ての存在のもとにあり、それが多様な形をとって現れるのは、言葉で認識するからだ、というのがおおまかなところのようです。

 

インド人と言えばよくしゃべるというイメージをよく耳にしますが、なるほどインドの人たちにとって言葉というのが、そして言葉によって伝えたい内容や意味を絞り込みかたどっていくことがどれだけ大切なことなのか、なんとなく伺えたような気がします。

 

インドの思想の幹を知るには、業(カルマ)や輪廻など本書では取り扱わないとされていたフィールドも見てみないといけないと思うので、いつかまたそっちの方も読んでみたいと思います。

 

インド哲学10講 (岩波新書)

インド哲学10講 (岩波新書)

 

 

Hit Refreshマイクロソフト再興とテクノロジーの未来(著:サティア・ナデラ)を読みました

Microsoftのサティア・ナデラ 現CEOによる同社のチェンジの状況と今後向かう道を示した一冊。いわゆるGAFAを向こうにまわして(完全に向こうにまわすわけではなく、「同じ顧客のために争い、同じ顧客のために尽くす旧来の仲間」と著者は仰っていますが)どう舵取りをし、未来の技術的な見取り図とその中で自社が占めようとするポジションをどう描いているのか知りたくて読んでみました。

ご自身の出自やバックグラウンドも関係してか、顧客理解にしても、企業文化にしても、しきりに「共感」という言葉を使っているのが印象に残りました。

そして自社の文化として定着させようとした「成長マインドセット」は、出典がキャロル・ドゥエック博士の『マインドセット「やればできる!」の研究』という書籍なのですが、同書は自分も読んでいました。あれほどの企業のCEO が自分と同じようなビジネス書を読んでいるとは!とちょっと驚いたのですが、それをあのジャイアントかつパワフルな会社の組織運営に実際に取り込んでいるところに、同じ読書であってもインパクトの大きさが全く違うよな~と思ったり。

一番関心があった技術的将来像では、クラウドのさらに先の技術的シフトとして、複合現実、人工知能量子コンピューターの3つが挙げられていました。
複合現実では、視界がコンピューター画面となり、デジタル世界と現実世界が混然一体となる体験をすることになる、と予見しています。インターネットネイティブの世代がいるように、没入型のコンピューター経験しか知らない、複合先日世代の人々が中心の時代が来るかもしれない、とのこと。
人工知能については、おなじみCortanaのようなパーソナルアシスタントがより普及し、同時に大量のデータに基づく機械学習を医療(病気の診断etc)などに活用できるようになると見ています。
そしてこれらが必要とする強力なコンピューティングを満たす鍵となるのが、量子コンピューターで、実現した暁にはムーアの法則を打ち破りコンピューターの物理を変える、と考えられているそうです。

方向性として感じたのは、人間の知覚はよりアルゴリズムに包まれ、時空のあり方の変化がより加速していくだろうな、ということ。
趨勢がそっちに向かっていくとき、文字通りの意味でフィジカルな移動や体験の位置づけはどう変わっていくか、複合現実に代替されないものは何があるか、もしくは逆に複合現実の供給に関われるようなリソースを蓄積・確保しうるか、を考えておくことが必要と認識しました。さぁ、何ができる・何をしようかしら?

 

ご本人も著書の中で仰っていますが、現職CEOが自社の今の動き・今後の方針をまとまった形でパブリッシュするのはなかなか珍しく、内外とのコミュニケーションとしていい形だなぁと思いました。

 

Hit Refresh(ヒット リフレッシュ) マイクロソフト再興とテクノロジーの未来

Hit Refresh(ヒット リフレッシュ) マイクロソフト再興とテクノロジーの未来