余白の効用

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余白ー。
「間」という言葉があるように、絵画をはじめとする日本の芸術において余白は全体の構図を成立させるために意識的に使われてきました。

背景があるから前景が引き立つ。
何も描かれていないがゆえに観るものの想像をかきたてる。
余白にはそんな効果があるんだそうです。

 

この余白に対する一種の美意識のようなものは、何も芸術に限った話ではないような気がします。

日常からちょっと外れた時間・空間があるから、日常を振り返ることができる。
目の前の制約にとらわれないときにこそ、広がる思考がある。

「絵の中の」というカッコ書きを外して他の文脈に置いてみたとき、余白からこんな可能性を感じないですか?

 

僕はこういう意味での余白を持つことが「生き切る」上でとっても大切だと思うのです。

 

やるべきことや日々の雑事に追われまくって息苦しい・・・と感じた時に、「この状況って自分にとって何なんだっけ?」と立ち止まって振り返ることができる。

今の現実をちょっと脇に置いて、もともと自分の心の中に宿っていた情熱を見つめ直したり、何に心ときめくのか問い直してみる。

今向かっている同じ矢印にさらにエネルギーを注ぐのではなく、違う矢印を伸ばせないだろうかと模索する。

 

そんな日常からのふっとしたオフを持つことで、いっぱいいっぱい頭打ちになっている自分をリラックスさせたり、思いもよらない伸びしろを見付けたり、とにかく今の自分が全てではないという感覚を持てるようになるんじゃないかと思うのです。
この「今が全てではない」という感覚こそ、自分の可能性をフルに発揮して生きようというモチベーションを育む、一番基本的な土壌・空気になります。

 

なので、ぜひそういう余白を持てる時間や空間を意識的に持ってみてください。

どんな時間・どんな場所なら余白感のある思考のスイッチが入るのか、朝のカフェがいいのか、深夜自宅の書斎がいいのか、はたまた休日の昼下がり散歩しながらがいいのか、好みはきっと人それぞれでしょう。
それに一人がいいのか、誰か他の人と一緒の方がいいのか、一緒に過ごすなら誰ならいいのか、メンバー構成もポイントだと思います。

いくつかの場面を振り返ったり、実際に試してみたりして、自分の思考が一番開放的になる環境を見付けられたらしめたもんです。「あー、もやもやしてきた、そろそろかなぁ」というタイミングが来たらその環境を再現して余白を取り戻しましょう。

 

ちなみに僕自身は、まず一人で夕方早目(これポイント。ヘトヘトに疲れてはいないものの、日中かかった思考のエンジンの余熱が残っているので。)のカフェで見開きA3サイズのノートに書き書きしながら棚卸していって(ちなみにこういう時は手書きが一番!)、その後なるべく近いタイミングで「いつもの」というくらい近しいメンバーと対話する、というのが一番しっくりいくやり方です。

 

余白、万歳!

余白 is beautiful!