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“他者の他者”という余白

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“せっかく授かった生であれば生き尽くそうぜ!”ということと、“それには余白を持っておくことがいい!”ということは、これから先自分が何を出していくにしてもずっとベースにあり続ける信条だろうと思っています。

余白を持つと言ってもそのあり方は人によって千差万別で、ある人にとっては仕事でやっていることにパラダイムシフトと呼べるくらいの一大チェンジをもたらそうとすることかもしれないし、ある人にとっては忘我の境地に至れるくらい没頭できる趣味を持つことかもしれないし、またある人にとってはひたすら体や心の鍛錬を積むことかもしれません。

じゃ、おのれの余白は何なんだ?ということですが、僕の場合は、自分が色んな“他者の他者”となることに余白を求めています。

“他者の他者”って耳慣れない言葉かもしれませんが、鷲田清一さんの“じぶん・この不思議な存在”という本から引用させてもらっている言葉です。

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

この本の中で鷲田さんはこんなことをおっしゃっています。

==以下抜粋・引用==

「じぶんらしさ」などというものを求めてみんなはじぶんのなかを探しまくるのだが、実際わたしたちの内部にそんなものあるはずがない。
それより、じぶんがここにいるという感覚のなかに身を置くためには、目をむしろ外へ向けて、じぶんはだれにとってかけがえのないひとでありうるかを考えてみたほうがいい。
<わたし>というものは<<他者の他者>>としてはじめて確認されるものだ。

==終わり==

今の自分はどれだけの人にとって“他者”たりえているのか?
もっと自分が“他者”となりうる and/or なるべき人がいないのか?

そのことをずっと考えて考えて、仕事も、仕事以外のこともやってきました。

“わたし”が“他者の他者”の集まりから成り立つのであれば、その“他者の他者”の組み合わせや重なり合う部分が自分のコアになる部分で、それは“他者”が多いほど濃く・太くなっていくはずです。この自分のコアが何なのかを知れば“生き切る“ことにぐっと近づけるんじゃないでしょうか。

だから、これからは、自分が“他者”となる相手をどう見付けていくか、そして実際に“他者”になるにはどんなやり方があるのか、それを模索しながらお伝えしていきたい、そんなことを企んでいますので、ぜひお楽しみに!