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自分の幹は一人じゃ作れない

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“途上国の子どもたち”が“生き切る”サポートをすること。それが自分の“生き切る“である。

 いざ言葉にしてみると、まるでよどみなく言いきっているように映るかもしれませんが、全然そんなことはないんです・・・。

 

自分は前職ではJICA(国際協力機構)に勤めていて、仕事として国際協力に携わっていました。
が、結果的に5年足らずで転職し、それでもなお国際協力への関心は失いませんでした。
ずっと関心を寄せてきたことに生業として取り組めるという幸せな環境を放り出して、それでもなおやりたいことって何なんだろう?
ああいうんじゃなくって、こういうんじゃなくって、っていう否定形じゃなく、肯定形で表すとしたらどんな言葉がぴったりくるんだろう?
転職してからの数年間は「じゃあそれって何なのさ?」という自問を繰り返す数年間でした。

冒頭挙げたような言葉が自分にとってのキーワードであるという答えが出たのは、やっとここ1~2年くらいでしょうか。
もちろん模索する中で「これかな?」という答えめいたものに出会うこともありました。でもなんだかやっぱりしっくりこない。。。
それで本を読んでヒントを探してみたり、ノートに考えていること・感じていることを書きとめてみたりして、当たりを待つ。そんな期間が5年くらいは続いてたんです。

ところが。「ああ、これは外れないかも」という答えには、思いもかけない経路でたどりつきました。
転職後、PARACUPというチャリティーマラソンの企画運営に携わったり、start to [  ]という団体を立ち上げてバングラデシュのとある中州の村の支援をしたりしてきたんですが、「仕事でもないのにわざわざそんなことをしているのはなぜ?」と聞かれたり、どういうつもりで自分がそんなことやっているのかを人に伝える機会が、けっこうな頻度でありました。
するとどうでしょう。
半信半疑、「こんなもんかなぁ」と苦し紛れでもひねり出した答えであっても、人に伝える場合には、一人でノートに書きつける時とは違ってリアクションが返ってくる。
「そういう風に受け取られるんだ」とか、「あ、この感覚・感想は自分ならではのものなんだな」とか、「へぇー、こんなところが人には響くんだ」とか、そういうフィードバックが働く。
何回かこれを繰り返しているうちに、自分の感じていること・考えていることをちゃんと伝えるにはどんな表現がぴったりか、選ぶ言葉の精度がだんだん上がって行く感じがしました。
特にstart to [  ]を立ち上げ、自分たちが何を、なぜ、どうやってやって行きたいのかを人に伝える機会が増えるにつれ、またメンバー同士でそういう話を繰り返すようになってからは、加速度的にそのプロセスが進んだように思います。
それにもはやソウルメイトと呼ぶしかないくらい近しい友人と繰り返した対話が、決定打となって、冒頭の言葉たちにたどりついたのでした。

 

心から納得いく答えは自分の中にしかないと信じて自分の中ばかり覗きこんでいた自分。
でも、結果的には、生煮えであっても人に伝えてフィードバックをもらうことで、見極められるようになっていく。自分のストーリーを人に語っているようで、それが実は自分に向けて語っていることになる。自分の幹を見付け太くしていくことって、実は自分一人ではうまくできないんじゃないかって思います。

 

だから、この自分のプロセスに関わって下さったみなさん、フィードバックをくれたみなさんには心からの感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 

今度はこういう機会を作ることで恩返ししていけたらと考えています。