「<ひと>の現象学」(著: 鷲田清一)を読みました

読了。

ハイライトを抜粋。(「3 親しみ 家族という磁場」より)

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周りの人間にこどとごくこまやかに対応してもらった、手厚く世話してもらったという体験が、「しつけ」などの前提となる他者への信頼感を根づかせる。そして「存在の世話」とでもいうべきそのような経験が、自尊心の基礎となるものを育む。ここで自尊心とは、プライド(自負心)のことではんく、じぶんを粗末にしない心、かけがえのない自己というものの経験である。これがあってはじめて、ひとは他者の思いへの濃やかな想像力を抱きうるようになる。

(職住一致の生活空間には)そこにいれば子どもが「見ぬふりをして見る」大人たちに囲まれて「勝手に育つ」、そのような場が(ありえた)。

少子化が進む中で、地域社会の養育力が殺がれてゆくなかで、母親ひとりに養育の責任がかかるようになり、思いどおりにならないと焦って、子どもについ過剰な干渉をし、過剰な期待を押し付けるようになる。・・・子どもをまるで作品のように育てようとする。そして子どもがそのような軌道から少しでも外れかけると、すぐに修復に向かう。・・・視線のすべてがこどもに注がれる。・・・ひとつのまなざしで見つめられると、それに従うか拒絶するかの二者択一しかなくなる。・・・もともと出自を異にする他人どうしの結合によって生まれる家族とは、葛藤の場であって当然なのだ。そこで、対立する価値観、対立する考え方のあいだでもまれ、翻弄されるなかで、子どもはたくましくなってゆく。この葛藤の不在こそが、いまの家族のいちばんの問題なのではないかとおもう。

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「7 シヴィル 市民が「市民」になるとき」もよかったです。

 

<ひと>の現象学

<ひと>の現象学