「オリエンタリズム」(著:エドワード・W.サイード)を読みました
読了。(上巻も)
最近中東のことをちゃんと勉強しなおそうと思っておりまして、その一環での選書。
ヨーロッパ・アメリカにおける「東洋」についての言説を、小説から旅行記、学術論文にいたるまで幅広く分析し、「東洋」がいかに「西洋」とは異質の(そして劣った)存在として画一的かつ固定的に捉えられ、それが植民地支配や政治介入(の正当化)とどのように結びついていかをひも解いています。
分析している言説・テキストが本当に幅広過ぎて正直ついて行ききれませんでしたが、くどいくらいに指摘が繰り返され、実際そういう部分もあった(そして今もある)んだろうなぁということだけは伝わってきました。
最近読んだ「空気の研究」で山本七平氏が主張している日本社会での「空気」の働きに似ていて、これは別段日本に限った話ではないのかもなぁと感じました。
そして本書のほぼほぼ最後で著者が言及している下記が本書が提起する一番根本的な問題意識ではないかと。
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我々は異文化をいかにして表象することができるのか。異文化とは何なのか。ひとつのはっきりした文化(人種、宗教、文明)という概念は有益なものであるのかどうか。あるいは、それはつねに(自己の文化を論じるさいには)自己賛美か、(「異」文化を論ずるさいには)敵意と攻撃とにまきこまれるものではないのだろうか。文化的・宗教的・人種的差異は、社会=経済的・政治=歴史的カテゴリーより重要なものといえるのだろうか。観念とはいかにして権威、「正常性」、あるいは「自明の」真理という地位を獲得するものなのだろうか。知識人の役割とは何であるのか。知識人とは、彼が属している文化や国家を正当化するために存在するものなのだろうか。
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自分の思考が、そしてその結果として吐き出される言説が、いかに自由であるのか、そして不自由であるのか。
思いもよらないところでとらわれないようにするには、少しも気を抜かずに相対化し続けることが必要なのかもしれない。
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,今沢紀子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1993/06
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