「となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代」(著: 内藤正典)を読みました

 

読了。
数年間バングラデシュに通っておぼろげに感じていたことが「なるほど、そういうことか!」とすっきりする説明がいっぱいありました。

イスラムとは唯一絶対の神アッラーに従うことで、実践的な宗教である。にも関わらずムスリムイスラムの教えに沿って生きる場を様々に奪われてきた。まもなく世界の3人に1人はイスラム教徒になる。無用の対立を避け共存するには非ムスリムの側がイスラムの根本原理を理解し尊重しなければならない。」(140字)

「インシュ・アッラー!」の根っこに横たわる考え方や、すべきこと・やってはいけないことを守ったり破ったりする時の心持ち、ザカート(施し)をなぜするか、なぜ利子はダメで投資リターンはOKなのか、などなど、「どうなんだろうなー」と思ってたことが氷解しました。

あと本書でいちばん「そういう気持ちなのか…」となったのは、敬虔にイスラム教徒として生きようとする人たちが、欧米のみならず自分が国民であるところのものも含めた「国家」によって、その場を奪われているということ。

イスラムによって政治や社会をよくしたいと行動を起こした人々は、時の権力者によって殺されたり投獄されたりしてしまうことが繰り返されてきた。
ヨーロッパ各地に移り住んだ移民の人たちは2世・3世になっても当該国で差別を受け、「蒙を啓け!」とマウントされる。
国境線が人為的に引かれてきたということもあって、こうした人たちが既存の「国民国家」という枠組みに疑問を抱き、イスラムの統一を掲げるISの主張に惹かれやすくなる素地が生まれてしまっているという…。
それはそうもなるだろうな。

やっぱり、宗教的な対立の歴史と経済的・軍事的な面で利権を持つ欧米諸国の目線に偏って情報を受け取ったり、判断したりしてはいけないと思う。
少なくとも宗教的な対立の歴史はない日本として、日本人として、彼らとは違う関わり方・踏み込み方がもっとできるんじゃないか。

真田安房守も言っていた。
塊としてのムスリムがあるんじゃない。
ひとりひとりが思いを持って生きている。
ゆめゆめそのことを忘れてはならない。

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代