「なめらかな社会とその敵」(著:鈴木健)を読みました

振れ幅がとっても大きい本でございました。

「人間の認知・対応能力の限界により近代社会では国民国家の境界で分割し世界を理解・構成してきたが、コンピューターとネットの発達はその限界を超えることを可能にした。今や個人・国家の境界を緩やかにし、複雑な世界を複雑なまま生きる経済・政治・インテリジェンスの仕組みが技術的には実現できる。」(140字)

近代社会のメジャーバージョンアップを目指すだけあり、飛びだすテーマが社会科学から生物学から、情報科学から、とかく幅広い。

私的所有や統治システムを、生物の「膜」・「核」・「網」のロジックをアナロジーとして用いて説明するあたり、かなり斬新でした。
※生物がどこから生物になるかというと、化学反応が「網」の中でバラバラ起きているだけではまだ生物と言えない。「膜」ができて内部に化学物質と反応を囲い込み、「核」がコントロールしてより効率的に反応を起こし始めると生物と言えるようになる、ざっくりいうとそういうロジックです。

近代社会というのは、本来そんなに簡単に単純化できない自由意思を持った個人と、その個人が社会契約を結んでできた国民国家、というモデルにある意味安易に依拠してきました。
しかし、それらは本来複雑なものをシステムの内・外に押し込めた分断された社会となり、歪みを生んできました。

しかし、コンピューティングとネットの発達は、単純化せざるを得なかった人間の理解・認知を爆発的に拡大させることができます。

今や無理やり「膜」で囲い込まれた内側と外側とにわけなくとも、「網」の中にいる重層的・並行的な主体をその多様性を損なわないまま結びつけることができるようになってきている、そうした急激な断絶を伴わない、複雑さを複雑なまま受け止められる社会のあり方を「なめらかな社会」として、筆者は措定します。

その「なめらかな社会」の具体的な実現方法として筆者が素描して見せるサブシステムが、貨幣システム=伝播投資貨幣PICSY、投票システム=伝播委任投票、法システム=伝播社会契約、軍事システム=伝播軍事同盟の4つです。

詳細は本書に譲りますが、いずれのシステムも基本的な性質としてては、「一貫した自由意思を持つ個人」と「国家」を相対化し、個人の選択や行動がネットワークを経由して累積していくこと、メンバーシップをオープンにすること、が特徴かと思いました。

語感からすると「なめらかな社会」はとっても優しそうな響きがありますが、複雑さを複雑さとして受けとめ、一貫性を欠くかもしれないけれども自分なりの理解と選択で社会と関わり、社会を動かしていく主体となることが求められるという意味では、誰か(=国家)に寄りかかりつつ何かあれば(またはなければ)その誰かのせいにしていればよかった「なめらかでない社会」よりよっぽど厳しい社会ではないかなぁと感じました。

著者も本書の成りたちのところで書いてましたが、学科が細かく分かれる前のような、横断的な議論を経て上梓された本書は、読んでて予想がつかず読み応えある面白い一冊でした。

※著者自身もその後スマートニュース社のCEOになられたみたいで、そこもすごい振れ幅だなぁ。

 

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵