観劇のあとさき

年に1、2本ですが、演劇を観ます。
公演関係者の方から声をかけてもらった時、自分の都合の調整が付けば断らないようにしていると、だいたいそのくらいの頻度になるみたいです。
先日も劇場ではなく、民家を本拠地として作品を公演されているゲッコーパレードさんの『ハムレット』を観てきました。

演劇に限らず各種コンサートやライブ、ショーなど、パフォーミング・アーツは、その場・その時限りの一回性がとても強いので、そこに臨席できることはとっても贅沢な時間の過ごし方だなぁと思っています。

 

わけても演劇は、ちょっと他では味わえない特別な心地が味わえるので、実は結構好きだったりします。

何がってやっぱり、そうじゃない作品ももちろんありますが、観ている最中、筋書きというか、ストーリーが追えない、意味が分からない、っていう展開に出くわすことがあるのですが、これが自分にとってはとてもとてもレアな経験で。

そういう非論理的な、不条理な経験って、普段ふつうに暮らしているとなかなかしないもんじゃないですか。あるいは、あったとしても、自分なりに説明をつけたり、やり過ごしたりして、すぐに消化できてしまう。
でも、演劇で出くわす意味不明はそんなに簡単に消化できない。すぐには乗り越えられない。

だから、言ってみれば、自分はまた分からなさを味わいたいがために、演劇を観に行っているんだと思います。

 

そして自分にとって観劇が一番味わい深くなるのは、受け取ってきてしまった意味不明さやもやっとした感じが、観劇後折々のタイミングでふと上がってきたり、あるいは自覚的にためつ・すがめつしてみたりして、「あれは自分にとってはこういう風に受け取れる」、「こういうことを伝えたかったんじゃないか」と想いを巡らせるとき、独り言みたいなものですが作り手の人(たち)と脳内対話をくりひろげているとき、だったりするのです。
それこそ誘ってくれた方とかに「あれってこういうことよね?」と聞いてみたい衝動にも駆られますが、そこはあえて確かめずにずっと自分の中に畳みこんでお酒のように発酵させ続け、思い出せばまた覗き込んでくんくんしてみたり。

 

とまぁ、こんな感じの姿勢で観劇に臨むためもあって、行けば席に置かれている例のアンケートにお答えするのがとっても苦手で、出さずに(出せずに)失礼してくることが大抵です。関係者のみなさん、ごめんなさい。
ただ、その時点で書けるものが本当の自分の感想・気持ちじゃないよなぁというのをよくよく自覚しているので、一生懸命作って下さった作品に差し出すには薄っぺら過ぎてとてもとても、という感じなのです。
(ちなみに同じような理由で、終幕直後に役を抜けた役者の方とお話しするのも、ちょっと苦手です。一人遊びできる余韻というか、余白を残しておきたくって。)

 

だから、関係者の皆さん。
こんな私ですが、どうかお気を悪くなさらず、これからもお声掛け下さいね。