時は過去から未来に向かってリニアーに続いているのではない。
一瞬一瞬が次々に立ち現われてきている。
その一瞬一瞬がどれだけ尊いことか。どれだけかけがえのない奇跡的なものか。
未来にだけ目を奪われることのもったいなさ、今この瞬間に秘められている生の息吹き、その生の息吹きを感じさせる技法としての芸術について書かれた一冊でした。
「本当の生は今この瞬間にしかない。しかし過去を下敷きにする人間の認識構造と、今この瞬間を生きる=忘我であるというそれ自体の存在論的理由により、今この瞬間を直接知覚することはできない。芸術はその忽然たる今この瞬間の生を追想的に表徴し、生命を息吹かせる技法の一種である。」(133字)
本書で、時間を連続にとらえるのではなく、瞬間瞬間がつど立ちあがってくるのであるという一ケースとして、人間自身、構成する60兆個の細胞は数日ですっかり入れ替わってしまうということが取り上げられていました。
同じようなくだりをどこかで目にしたなと思っていたのですが、それがシンギュラリティ論者のレイ・カールワイツの本の中だったと気付いてびっくり。
カールワイツの場合、だからこそ身体なんて本質じゃない、脳さえコンピューター上に移せてしまえばアイデンティティは保たれると展開するので、本書の論旨とは真逆な感じに行くわけで。
同じ事象からこうも違ったインプリケーションが出てくるとは。
万物が流転する無常生起のこの世・この生、未来にとらわれ過ぎず、本書のタイトルにある通り足許の今ここにもっと身を委ねる場面がもっとあってもいいなぁと思わせてもらいました。