世界正義論(著:井上達夫)を読みました

『リベラルは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないで下さい』、『憲法の涙』の著書、法学者井上達夫氏が世界正義について論じた一冊です。

両書読んだときから気になっていた本だったのですが、先だってコフィ・アナン元国連事務総長の回顧録を読み、一見むき出しのパワーの衝突のようであっても、各国がそれなりに筋を通しつつ外交を繰り広げているさまに触れ、これは何を筋として掲げるべきか考える材料が欲しいぞと思い、いよいよ本書を手に取ることになりました。

 

「国家の主権性と市民的政治的人権保障は一体不可分である。このことは、国家の正統性承認という政治面での、世界貧困問題の是正という経済面での、国際社会でいかなる武力公使が正当かという安全保障面での、世界正義論を成立せしめる。世界の秩序形成においては中途半端な強さの国家の並立が望ましい。」(140字) 

 

もはや若干手垢がついた感がありますが、個人的には「人間の安全保障」というのはとても有効な概念なのではないかと考えていました。本書ではより厳密に人権保障が中核に据えられていたように思います。

 

国家がその領域内において特権的な地位を持ちうるのは、市民的政治的人権を保障しているからであって、「人権なくして主権なし」、それら人権を保障しない国家の正統性は国内からはもちろんのこと、諸外国からも認められるべきではない。(より具体的には、国内資源の処分と借款借受の権利を認めるべきではなく、諸外国はこれら取引を慎むべきである。)

また、1日5万人が貧困が原因で命を落としている状況については、社会経済的人権保障の問題であり、市民的政治的人権を保障している国家でも貧困から抜け出せないのは、自らの力の及ばない外的要因、資源賦存や世界経済の制度的阻害があるからと推定される。諸外国は、できうる範囲での支援をすればよいというものではなく、貧困国の社会経済的人権保障のため、制度的阻害要因を除去し、それによって被っている不利益を補償しなければならないという義務がある。

武力行使については、自衛目的のものに限定し、戦争遂行に当たっても方法を抑制的におさえる消極的正戦論が最も支持可能性が高い。 近年課題となっている人道的介入については、あくまで状況改善の主体は現地市民であることを尊重し、諸外国は体制転換を目的とした市民の試みをまずは非軍事的な方法で支援するべきであるが、ジェノサイドなど、そもそもそうした試みの主体自体の抹殺が図られるような時には軍事的な介入が要請される。

 

 すごく緻密に概念が定義され、議論が積み重ねられているのですが、ざっくりまとめるとこういう主張をされていたと理解しました。

 

 シリアやパレスチナなど中東の状況にしても、貧困の問題にしても、遠くの出来事として何もしなくてよくないのはなぜか、自分たちにも責任があって看過することはできないのはなぜか、一貫していてとても骨太な理論的根拠を示してもらったような気がします。

しかし、リベラルに立つはずの著者が、世界秩序を覇権性・階層性がない形で築くためには、世界政府や地域的連合でもなく、NGOなどの市民社会でもなく、国家というある意味一番オーソドックスな存在が主体となるべきであるという主張に行きつくのは、「あ、そうなんだ」と面白かったです。
こんな言い方するとですが、変に浮ついてなくて、地に足が付いていて、やはりちゃんとした議論をなさる方なんだなぁと改めて感じました。

 

はっきり言って使われている用語や言い回しはかなり難解です。
が、ロジカルに積み上げられた主張はかなり骨太です。時間をかけても読み解く価値がある一冊でした。

 

世界正義論 (筑摩選書)

世界正義論 (筑摩選書)