それでも、日本人は「戦争」を選んだ(著:加藤陽子)を読みました

日清戦争日露戦争第一次世界大戦満州事変・日中戦争、太平洋戦争という、明治以降日本が戦った戦争がなぜ戦われたのかー。著者が行った栄光学園・中高生への特別集中講義の様子をまとめた一冊。

今起きつつあることを理解するとき、未来に起こりそうなことを予測するとき、人は意識的・無意識的に過去にあった事例を下敷きにして考えるもの。
その理解・予測の質を高め判断の誤りや災禍を招かないようにするためには、広い視点から俯瞰した偏りのない歴史についての理解・蓄積が必要で、それには若いうちから歴史に興味をもって歴史的なものの見方を身につけて欲しい、そういう想いで著者は講義に臨んだそうです。

果たせるかな、著者は様々な資料を引きつつ、生徒たちとのキャッチボールも交えて、海外各国の諸事情から日本国内の社会政治情勢まで縦横無尽に伏線をたどり、重層的に戦争に至った経緯や戦後の影響を解き明かしていきます。

 

客観的な数字を引けば明らかに無謀な太平洋戦争をなぜ戦わなければならなかったのか。
庶民はなぜ開戦を支持したのか。

「1941:決意なき開戦」がどちらかというと開戦に至る日本の指導者たちのやり取りを辿った本だとすると、本書は時間的にも視点的にもより広範なスコープから「あの戦争はなんだったのか」に迫る内容だと言えると思います。

続けてセットで読むと面白かったかもなぁ。

 本書の中で、戦争とは単に軍事的な勝利や戦後の権益確保を目的になされるのではなく、主権や社会契約といった相手国の社会を成り立たせている基本秩序(=憲法)に手を突っ込み書きかえようとすることだ、というルソーが提示した洞察が紹介されていました。

 この洞察に基づけば、敗戦した日本で憲法を書きかえられるのは必定であり、勝者がアメリカ以外でも憲法は書きかえられただろう、と筆者は推定しています。そして書きかえられる対象となった従前の憲法原理とは「国体」であったと。

文庫版のあとがきで著者自身が指摘していますが、改憲・護憲を議論するに当たっては、今の憲法をもたらした戦争はなぜ戦われたのか、をまずは考えなければならないというのは、まさにその通りだと思います。

そして政治家でも軍部指導者でもない一市民として、災禍に向かって進んでいくのに気付かないままに加担することを避ける、あわよくば食い止めるため、いかに徴候をキャッチすることができるのか。

市井の社会感情にも目配りした本書は得るところ大の一冊でした。

 

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)