メノン(著:プラトン)を読みました

プラトンの対話編の一つ、メノンを読みました。

徳は教えられうるか?というメノンの問いに対し、ソクラテスはそもそも徳とは何か?を問い直し徳の定義を試みます。

自分が繰り出す定義をことごとく退けられ心が折れかけたメノンをソクラテスはこう言って励まします。

 

『ひとが何かを知らない場合に、それを探求しなければならないと思うほうが、知らないものは発見することもできなければ、探求すべきでないと思うよりも、われわれはすぐれた者になり、より勇気づけられて、なまけごころが少なくなるだろう』

 

しかしそれでも徳は教えられうるか?という問いにメノンが固執したため、ソクラテスは仮に教えられるものならば、という仮定に立って議論を進め、実際に教えられる人・教えられている人がいないので、徳は教えることができる知ではない、それは神に恵まれたよき思わくであると結論を下し、この対話編は結末を迎えます。

 

それと、本書の中で画期的なのは、「想起」という概念が出てきていることなんだそうです。

人間の魂は不死であり、われわれは人間としてこの世に生まれてくる前に、すでにあらゆるものを学んで知ってしまっている。
だから、われわれは自分が全然知らないことを学ぶわけではなく、じつは、「学ぶ」とか「探求する」とか呼ばれているものは、すでに獲得しながら忘れていた知識を思い起こすことに他ならない。
これはのちの「イデア」と「感覚的事物」の分離の萌芽なんだそうです。

すべて学んで生まれてくるというこの見方、最近どこかの子ども論で目にした気がしますが、原形はここにあったんですね。

 

すべて携えて産まれてきたはずの何かを思い起こす探求、ずっと続けていかなければ!

 

メノン (岩波文庫)

メノン (岩波文庫)