生活保障ー排除しない社会へ(著:宮本太郎)、共生保障ー<支え合い>の戦略(著:宮本太郎)を読みました

齋藤純一さんの「不平等を考える」で言及されていたことがきっかけで読み始めた2冊。

 

夫が働き妻が家族のケアをするといういわゆる標準家庭を前提に、各種補助金や公共事業など主に供給サイドへのテコ入れで経済成長と雇用の確保、さらには企業内での人材育成を賄うことで「支える側」を作り、そこから外れ困窮する人たちを属性ごとに絞り込むことで「支える側」を支えるという形で整えられてきたのが日本の社会保障制度の特徴でした。
しかしこの社会保障制度が、未婚化、高齢化、グローバル化、雇用の劣化などの環境変化により機能不全に陥っており、制度の間に落ちてしまったり、困難が複合化することで十分な社会保障が受けられなくなっているのが現状だそうです。

この環境変化に対応するため著者が必要と指摘しているのが、「支える側」・「支えられる側」という二分法や福祉と雇用の断絶を乗り越え、支え合いへの参加をひろく促すことと指摘しています。

これを端的に概念図として示しているのが下記のもの。

支え合いへの参加の機会として「雇用」と、生きる場である「居住・コミュニティ」があり、そこを一時離脱しなければならないような周囲の要因があっても、再びこの支え合いに戻ってこられるような、出入りができる施策が求められるとしています。

 

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Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳの詳細な内容や、すでに地域で実践されている例(藤里町社会福祉協議会NPO法人ふるさとの会、社会福祉法人生活クラブ風の村、弘前市富士宮市鹿児島市ナガヤタワー、シェア金沢など)は本書に譲るとして、感じたことを3点ほど。

 

1点目は、住宅の問題は大きいのだな、ということ。
たまたま並行して読んでいた都市における住宅サービスをめぐる政治の論考でも指摘されていましたが、日本では新築住宅を購入することへの動機づけが制度的に(多分文化的にも)強く、住まいを得ること・住まうことが極めて個人的な選択とみなされている傾向があるんじゃないでしょうか。
それが良質な賃貸住宅の供給や中古住宅の流通を妨げ、基本的なニーズである住まうことのコストを非常に高くしているし、同時に地域的な連帯、社会関係資本の蓄積の妨げとなり、困窮世帯の孤立化を招きやすくしていると思います。

 

2点目は、これはもう社会契約を新しく結びなおすくらいのつもりでやらなければ、実現しえないのではないか、ということ。

上記の住宅の件もそうですが、今まで量の差はあれ企業を通じて提供されてきた住宅や家族扶養にかかる手当をもはや企業が支給しえなくなっている現状を踏まえれば、こういった基本的なニーズを自力で満たせない場合には公的な制度で手当を支給する必要があると思います。

また社会保障や福祉へのニーズが社会全体に広がっているという見方にもとづき、選別主義から普遍主義への移行が模索されてきたそうですが、これはまさに今の時代に必要とされているアプローチです。
すなわち、LIFE SHIFTにも著されている通り、人生100年時代を迎え、「強い個人」として「支える側」であり続けるためにも、意識的に、一時的に、働くことの第一線から離れ、じっくりトレーニングを受けたり、自分が進みたい道について落ち着いて考える時間をとることが必要になってくるんじゃないかと思います。でも実際は、一時的に(あるいはその後好条件の仕事につけなければ恒久的に)収入が落ち込むことを懸念して、働くことを休めない。そうするとどこかで自分の働き手としての劣化が著しくなり、働きたくても働けない状況に追い込まれてしまう。
高齢化に伴う介護への従事の必要性や自らの病気の発症、グローバル化とテクノロジーの加速的進化による経済競争の激化(による失業)など、起きてしまった困難への事後的対処という意味もさることながら、社会保障や福祉は、今働き手として活躍している人たちにとっても、これからも積極的な役割を果たし続けるために必要になってきているのだと思います。

これらを実現するためには、当然今よりさらに大きな財源が必要になるのですが、追加的な負担への抵抗感がとても大きい。

これまでは、とりあえず真面目に働くから、そこからこぼれた人たちへの対応はよしなにやっておいてよ、でやってこれたかもしれません。 
でも上記の通り、社会保障や福祉はどこか別のあっち側の人たちだけのものではなく、今は一見遠いところにいるように感じている人たちにとっても、実はすぐ隣にあるべきものになってきているのが現実なのではないでしょうか。同じ制度の下にいる者として、自分たちが必要としている権利・義務関係が大きく変わってきているのだと思います。

著者である宮本太郎氏は政府の審議会の座長等も務められた方で、こういう主張を持った人が中にいてもこれだけ制度変革は進まないということは、制度の受益者であり同時に法の編者でもある自分たち一人一人の発想がよほど大きく変わらないと 変革も実現しなさそうだなぁと感じました。

 

3点目は、共生社会でも目指されているアクティベーションや社会的包摂を実際に実現できたとすれば、それは日本の大きな世界への貢献にもつなげられるかもしれないということです。
違いを違いとして認め、ないものではなくあるものに目を向け、本人の意思を尊重しながら多様な形で社会への参加の機会を開いていくというのが、アクティベーション・社会的包摂の根底にある姿勢だと理解しています。これは、高齢者や障碍者のみならず、ありとあらゆるマイノリティとされる人たちも含むダイバーシティを容れた社会と極めて親和性が高い姿勢だと思います。
テロに走ってしまう人たちや、移動先の社会になじめない難民・移民の人たち、自分たちは取り残されたその他大勢だと感じているような、周縁化されていると感じている人たちにどう社会参加の道を開いていくかというのは、グローバルにも緊急性が高い課題だと思うのです。
もし日本でダイバーシティを容れつつ社会的包摂を実現するような社会保障も含む制度が実現できたら、それは世界にとっても何らか示唆を与えうるようなものになるのではないかと思います。

 

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

 

  

共生保障 〈支え合い〉の戦略 (岩波新書)

共生保障 〈支え合い〉の戦略 (岩波新書)