人々の声が響き合うときー熟議空間と民主主義(著:ジェイムズ・S・フィシュキン)を読みました

齋藤純一氏著の「不平等を考える」 で見かけた「熟議民主主義」の親玉っぽい本と目して手に取った一冊でした。

現実の政治に自らが及ぼせる影響がほぼないと考えられるとき、政治的イシューに関心を寄せ情報収集したり考察したりする苦労はどうせ報われないから何もしないという「合理的無知」や、本質的な政策の比較ではなく候補者への個人攻撃や人々の感情を動かそうとする「説得産業による印象操作」があるとき、単純な投票では真の民意は諮れない。

実際の社会構成を反映した、参加者一人一人が自分の声が尊重されると感じられるぐらいの小グループで、公平な情報を与えらえれかつ偏りのないファシリテーションにより討議を行った場合にこそ、本当に人々が望む声を見出すことができる。それを実現するのが討論型世論調査であり、熟議民主主義である。

というのが著者の主な主張です。

 

この主張を裏付けるため、民主主義の形態として、競争的民主主義、エリートによる熟議、参加民主主義、熟議民主主義の4形態を挙げ、民主主義が叶えるべき4つの価値、政治的平等、政治参加、熟議、非専制、を各形態がどう満たすかの比較考察も行われていました。

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民主主義についてこういう整理がされているものを目にしたのは初めてでしたし、政治的平等、政治参加、熟議の3つを同時に満たすことはできないというトリレンマの存在も初めて知りました。
なので、この整理と評価がどのくらい標準的(もしくは熟議民主主義びいき)であるのか、もっと他の立場からの考察も含めて相対化する必要があるなと考えています。

 

一方で本書を手に取ったおおもとの関心、多様な視点を含んだ「理由のプール」を蓄積する手段としての「熟議」とは?というところに立ち返って考えてみると、「熟議」の質を閉示す5つの指標ー情報・実質的バランス・多様性・誠実性・考慮の平等ーは、実際何に気を付けて「熟議」の場を設定・運営しなければならないか考えるうえで参考になりました。
他方「熟議」の結果をフォーマルな政治プロセスに直接反映させようとすると、かなり大がかり(参加者を全国から一か所に集め、謝金も払って泊まり込みで議論させる)な仕組みが必要となるようで、あまり現実的ではないように思いました。
ここはフォーマルな政治プロセスへの接続にこだわりすぎず、「熟議」の結果を発信・見える化することで「理由のプール」を貯めていくという齋藤氏の見立ての方が現実性がありそうです。

 

バイオやAIなど先端的な技術をめぐる規制を定めるためだったり、セクシャルマイノリティー・認知症当事者・相対的貧困下にある家庭や子どもなど当事者の意思を実際の制度や慣行の変革に活かすためだったり、はたまた憲法改正のような自分たちに大きく影響する政治的判断だったり、代表を選ぶための選挙だけでは真の民意を汲み取れず、かといって生の意見を問う直接投票をするだけでは乱暴で、「熟議」が求められる場面は少なからずあると感じています。
これをカジュアルに、でも実質を伴うように開けるようになれたらワクワク刺激的だろうなぁと妄想してしまうのでした。

 

人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義

人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義