中庭の出来事(著:恩田陸)を読みました

蜜蜂と遠雷』で久しぶりに読んで、同じような作品があるよと勧められた『チョコレートコスモス』を待つ間に読んだ一冊。

 

舞台をテーマにした本作、『蜜蜂と遠雷』と同じく、というか、より一層重層的でフラクタルな構造の小説だなぁと感じました。 

演劇作品の台本・セリフまわしが幾重にも入れ子構造になっていて、章ごとに「あれ、今どの話にいるんだっけ?」というのが一瞬分からなくなりそう。
でもそれでも不快じゃなくって、エンディングでこれがどうまとまっていくんだろうか、とワクワクする感じ。

この感覚は、本物の演劇を鑑賞しているときの感覚にとってもよく似ている。
演劇でも、場面転換でがらっと話が変わったりすると、「あれ、これはどういうプロットになるんだろう?」と話しの筋が気になりつつも、今目の前で展開されるやりとりに耳目を奪われもする。
それでこれが最終的にどう着地していくんだろうか、はたまた発散していくんだろうかと、固唾をのんで見つめていたり。

 

蜜蜂と遠雷』では、ピアノのコンテストという音楽を文章で見事に表現していたわけだけど、同じように本作では、演劇の世界を文章だけで表現している。

自らの武器による他の芸術分野への越境行為はかなり度胸がいることなんじゃないかと思うのだけど、毎度みごとやりきる恩田陸さんの文章表現力の豊かさを改めて思い知らされました。

 

小説の地の文の登場人物だと思っていたキャラクターがいつの間にか劇中劇の中のキャラクターになっていてというところが入れ子構造なのですが、本作の最後の最後、観客も劇場を一歩出た世界の中では、自分自身を演じなければならない見られる存在であるというセリフが出てきます。
ここで自分はセーフティな傍観者であると思っていた読者さえも、ついにこの小説の入れ子構造に取り込まれていくことになるわけですが、これは『蜜蜂と遠雷』でも感じたフラクタルさと相通じるものがあって、見事な筆者からのラストパスだと思いました。

 

ということで、見る側であった自分を読後の所感という形で見られる側に回して、本作の鑑賞に決着をつけたいと思います。

 

中庭の出来事 (新潮文庫)

中庭の出来事 (新潮文庫)