貧困の戦後史(著:岩田正美)を読みました

太平洋戦争以降の日本において貧困がどのように捉えられてきたのか、定量的なデータをひきつつも、そのあらわれ方・「かたち」により着目しながら変遷を追った一冊。

本書により『時代区分ごとに貧困をこのように捉えていた』という貧困の「かたち」を大まかにまとめると下記の通りとなる。

 

終戦直後】・・・壕舎生活者、引揚者、浮浪者・児

【復興期】・・・失業対策日雇、仮小屋

【高度経済成長期】・・・二重構造論、旧産炭地域、寄せ場、問題地区(スラム・高生活保護利用地域)

【一億総中流時代】・・・多重債務者、(豊かな社会における)島の貧困insular poverty(寄せ場、開拓事業地、再スラム化する改良住宅事業地)

【失われた20年】・・・ホームレス、ネットカフェ難民、被保護者の単身化・高齢化、相対的貧困、子どもの貧困

 

本書は、社会から周縁化され目につきにくい存在とされがちな「貧困」について、とくに比較的近い時代の様相を通史的にまとめているという点が稀有だと思った。ドヤ街、浮浪者、産炭地など名前・単語としては聞いたことがあるものの、そこがいったいどのように形成され、そこに暮らす人たちの暮らし向きがどうだったのか、ということは本書で初めて知った。貧困ビジネスの「ビジネスモデル」も、旧来からあるものが形を変えて繰り返されているようだ。

 

本書最終章で著者が指摘しているが、「貧困者はすでに十分自立的であり、そのことが問題なのだ」というのはまさにその通りだと思う。

個人的に本書のハイライトだと思ったので、少し長いが引用する。

 

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「自立」支援という政策目標は、個人の怠惰が貧困を生むという、きわめて古典的な理解に基づいている。だが問題は、怠惰ではないのだ。貧困を個人が引き受けることをよしとする社会、そうした人々をブラック企業も含めた市場が取り込もうとする構図の中では、意欲や希望も次第に空回りし始め、その結果意欲も希望も奪いさられていく。だから問題は、「自立」的であろうとしすぎることであり、それを促す社会の側にある。

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日本の社会保障というのは、例えば生活保護を受けるか・受けないかのように、とかく「あっち側」と「こっち側」でとかく断絶が大きいように感じる。
税金の控除(寄付金)・減税(住宅ローン)や手当(子ども)の支給から、低額または無料でのサービス利用(子供の医療費・保育園)、所得補償(生活保護)などまで、もっとなめらかな制度設計はできないものだろうか。
こういう官的に提供される各種ベネフィットがもっと地続きに感じられるようになれば、社会保障制度は私たちのためのものという支持が広がり、支え合いがある生きやすい社会になるのではないかと思う。

 

貧困の戦後史 (筑摩選書)

貧困の戦後史 (筑摩選書)