東京に大雪が降った日。
たまたま渋谷の明治通りからタワーレコード方面に山手線ガードをくぐろうとしてびっくりしました。そこにあったはずの宮下公園がきれいさっぱりなくなっていたのです。
工事のフェンスの向こう側に普段は見えることのない景色が広がっていて。
公園がなくなっていること自体は衝撃的でしたが、広がっている景色は新鮮で、渋谷がまさに谷底にあるんだということも感じられ、すぐに「あ、これもありかも、むしろこっちの方がいいかも」 とも思いました。
この宮下公園しかり、渋谷は今駅周辺がすごい勢いで再開発されています。昨日通った通路が今日は変わっているということもざらにあるくらい。
ただ、中学・高校のころからなんだかんだおよそ四半世紀にわたり渋谷と接触してきた身としては、どうも最近小ぎれいにお行儀よくなりすぎてきているんじゃないかという、ちょっとした違和感、もしくは不安のようなものを感じることがあるのです。
リチャード・フロリダによれば、クリエイティブクラスの時代を迎え、クリエイティブクラスが集う都市は経済的にも文化的にも豊かであり続ける傾向があります。ではクリエイティブクラスはどんなところに集まるかと言えば、「居心地がよい場所」に集まるそう。
果たして再開発が進む渋谷は、クリエイティブクラスにとって本当に居心地のよい場所になっていっているのだろうか?
再びリチャード・フロリダによれば、クリエイティブクラスが集まってくるかどうかは、ゲイとアーティストが集まってくるかどうかが先行指標となるそうです。
両者がともに志向するのは、美しくて、新しい経験を受け入れる寛容性が高い場所。またフロリダの著書にたびたび引用されるジェイン・ジェイコブスは『アメリカ大都市の生と死』の中で「新しいアイデアには古い建物が必要だ」と記しています。
古い建物・ビルが壊され、高層ビルがぐんぐん伸びていく渋谷は、どうもちょっと違う方向に進んでいるような気がします。
おりしも同じような問題意識は、DIVE DIVERSITY SUMMIT SHIBUYA 2017でのセッションでも表明されていたそう。
このセッションの中で内閣府 地方創生推進事務局 次長 村上敬亮 さんがおっしゃっているのですが、駅周辺とは対照的に、自分の会社のオフィスがある渋谷二丁目界隈はここ数年新しいお店がずいぶん増えてきて、たしかにそぞろ歩く路地としては面白くなってきていると感じます。
劇作家の平田オリザさんは『新しい広場を作るー市民芸術概論綱要』の中で、アートは社会的包摂のための手段として位置づけられ、そのアートを収容する場所としての劇場を「新しい広場」と呼んでいます。
今、渋谷の、さらに駅周辺ではない路地・ストリートにおいては、いろんな人がアートも含め多用途に使える「空き地」のようなスペースが必要なんじゃないかと思うのです。
自分の会社のオフィスを近々改装しフリースペースを設けようと画策中なのですが、それはこの空き地が、お上の旗振りでいささか形が整いすぎて進められている感のあるダイバーシティの推進を草莽に取り戻す契機になれたらいいな、と考えてのこと。
面白い広場になったらいいな、したいな、と思いを巡らせています。