勉強の哲学 来るべきバカのために(著:千葉雅也)を読みました

グローバル化が進んだり、社会が断片化したり、AIがどんどんヒトの領域に入りこんできたりして、バカ=「話が通じない相手」が増えることが見越される中、その陥穽に陥らないようにするために私たちはどういう姿勢で学ばなければいけないのかーーーを説いた本では全然ありません。
(自分はてっきりそんな内容かな?と思ってました。)

 

言われてみれば「ああそうか」なのですが、本書は、そもそも勉強するとはどういうことなのか?について哲学的に考察した上で(=原理編)、それを実践するためのテクニックを紹介する(=実践編)、という内容構成になっています。

 

本書を読み通してわが身振り返ってみると、確かに本は比較的多く読んでいてこういう形で記録も残していますが、自分の感じたこと・考えたこととそれに至ったエビデンスとしての原文を切り分けられるように読書ノートをとったり、本の位置づけを気にして読み分けたり網羅したりはしていないので、筆者の言う厳密な意味では勉強しているとは言えないんだろうなぁと思いました。

でも、これからもそういう厳密な勉強を目指した勉強はしないんだろうな、とも思っていて、それはそれでいいやと思っています。

自分にとっては自由に動けるというのが享楽的こだわりであって、本を読んで(それをそう呼んでよければ)勉強しているのも、自由に動くためなんだろうと考えています。だからちゃんと順を追ってブロックを積み上げるようにある分野について精通していくよりも、その時自分を相対化して動くために必要なものをpickyに摂取していく方が性に合っている。食い散らかすことになってもまぁ何がしか血肉にはなっているだろうし、その組み合わせ方とか軌跡がわずかずつでも自分の個性やこだわりに反映されていって動き方や出していく結果につながっていけばいい、くらいの心づもりでいます。

 

本書では書かれていない、破壊した自己で何がしたいのか?によって、勉強の実践の方法も変わってくるんじゃないか、というお話でした。

 

【勉強の哲学あらすじメモ】

  • 勉強とはすなわち自己破壊で、なかんずく世界を認識し構築する手段でもある「言語」を新しくすることである。
  • 新しくする方向としては、①本当にそうなのか?とツッコミを入れるアイロニーと、②ズラしてボケるユーモアがあって、まずアイロニーで現に使用している「言語」を成り立たせている環境に疑いを向け、次いでユーモアに転回して環境を複数存在させて比較し続ける、という順番で進めるのがよい。(自覚的に環境に入りなおすことが「来るべきバカ」)
  • ユーモアによる連想もそのままでは際限なく広がっていってしまうが、自らの享楽的こだわりによって有限化される。この歯止めによって足場を仮固定することで勉強を中断することができ、また同時に継続させることもできるようになる。
  • 勉強にあたっては信頼できる本、すなわち勉強を続けている人たちとのつながりがある著者の本を選ぶ必要がある。本はそうしたつながりがない一般書と専門書に分かれており、専門書も入門書、教科書、研究書がある。
  • 勉強を継続するにはタイムラインを残すことが有効で、それにはノートアプリが役立つ。また書けるようになるためには特に箇条書きで書きながら考える習慣をつけるとよく、アウトライナーを利用すると書きやすく整理もしやすい。

 

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために