フーコーの美学:生と芸術のあいだで(著:武田宙也)を読みました

アートって何だろうということをぼんやり考えていた時に、人はそれぞれ形は違うけれども何かを表現しながら生きているんじゃないだろうか、いや、逆に全く同じ人が二人といないのであれば、生きていること自体すでに何らかの表現とも言えそうだよなと思うようになりました。

そんな折、フーコーが示した理念の中に「自らの生を一個の芸術作品にする」というものがあると知り、いつか関連書を読んでみたいなぁと考えていたら本書を見つけたので手に取ってみました。

 

結果から言ってしまうと、本書はフーコーの思想全体を「外」という概念を軸に再解釈しようと試みている一冊で、原典に当たったことがない自分が読みこなすにはちょっとハードルが高かったです。。。

それでもこれかなぁと掴んだポイントはこんな内容でした。

 

-外にあって取り込む真理と、練り上げる素材としての自己双方に不断に配慮し続け、身体的実践を重ね変容させていくことが生存の美学である

-芸術という創造の営みは、真理を現前させ、創造者と鑑賞者双方を変容させる力を持つ

 -だから生存の美学を実践することは、自らの生を一個の芸術作品にすることに通じている

 

なかなか難解な内容でしたが、使われている言葉や、概念の配置関係から、多分こういうフィールドで論考がなされるんだろうなぁというイメージはつかむことができたような気がします。

いつか時が来たら原典も読んでみたいと思います。

 

フーコーの美学: 生と芸術のあいだで

フーコーの美学: 生と芸術のあいだで