コミュニティ難民のススメ(著:アサダワタル)、住み開き(著:アサダワタル)を読みました

生きることはそのまま丸ごと表現なのではないか?-そんなことを最近考えていて、「表現と仕事のハザマにあること」という副題に惹かれて『コミュニティ難民のススメ』を読んでみようと思いました。

で、せっかくなので先に世に出された多分ルーツ的なものであろう『住み開き』をまず読んでから、ということで2冊続けての読書となりました。

 

まさに仕事と表現を分けることの違和感に耐え切れなかった著者は、「日常生活の価値観を表現の力で再編集する」という仕事像にたどりつき、ゆえに既存の職業区分にフィットすることなく、さまざまな専門性・コミュニティの狭間を往来する”難民”と化したそう。

住み開きも、公と私、日常と非日常の”/”(ボーダー)を再編集する、著者にとっては表現の一種でした。

 

 自分に引きつけて考えると、難民とまでは自認しないまでも、「何かひとつの考え方に縛られるのはいやだなあ」という感覚はあって、複数の専門領域やコミュニティを越境したいという志向は強くあると思います。

それでも著者のように複数のコミュニティを架橋するところや、仕事になるところまではやりきっていなくて、ほぼ趣味のようにいろんなところに首を突っ込んでいる状態にとどまっているのが実情です。

 

でもそもそも仕事にしなきゃいけないんだろうか?趣味じゃだめなんだろうか?
それこそ仕事と趣味の境界を再編集すると、お金の払われ具合と自分の楽しみ・一緒に楽しめる仲間の存在とかがグラデーションになっていて、必ずしも稼げない趣味は中途半端でよくない、ということにはならない気がします。

もっとも続けられることが大事なので、グラデーションの中で稼げるものを持っておくことは必須なのだけれども。

それ一辺倒で「たった一人の個人である”私”が”私”であることを受け入れつつ、”私”が”私”として気持ちよく生き続けるために愚直に”表現”をし続ける」(p30)余白を見失わないことこそが大事なんじゃないかなぁと思います。

 

やりたいことを必ずしも「職業」という枠に押し込めようとしなくていいー仕事とやりたいことがしっくりこないと悩む方にメタな視点をもたらしてくれそうな一冊でした。

 

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

 
住み開き―家から始めるコミュニティ

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