<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー(著:知念渉)を読みました

ヤンキーと呼ばれる子たちはどのように学校生活を送り、どのように労働市場に出ていくのか ー 著者は実際に高校で<ヤンチャな子ら>と三年間を共に過ごし、中退・卒業後もインタビューを続けて分析を行った。

これまでのヤンキーについての研究は、ファッション・趣味などの若者文化、学校生活・規範との葛藤という生徒文化、出身家庭が属する社会階層という階層文化、いずれか一つに寄せる形で行われてきたが、著者はそのアプローチを排しこれら3つの側面が本人に及ぼす作用を重層的に分析している。

その結果、<ヤンチャな子ら>の集団は一様ではなく内部に社会的亀裂があること、社会関係の有無が進路選択を分けていること、が明らかになった。

 

本書は著者の博士露文がもとになっているだけあって、筋の展開はとても論文っぽい(先行研究の批判的検討→本研究のアプローチ・意義→研究結果→結果についての考察)ものの、文章は読みやすく一般書としても十分読める内容だった。

本文中には著者と子どもたちが実際に交わしたやりとりの様子も引用されているが、年頃のしかもヤンキーの男の子が抱く自分の家族への思いを素直な形で引き出しているのはすごいことだと思った。それだけ著者が子どもたちと関係性を築けていたということの現れであろう。

また一見みな同じに見えるヤンキー集団内での相対的なポジションが、本人が依拠できる社会関係の広さ・強さと関りがあるというインサイトもいい。社会関係が弱い・ないと、その場をなんとか自力でしのがなければならず、一貫性や先の見通しを欠いた進路選択を行いやすくなる。

 

本書結論から導き出される政策的インプリケーションとして著者が指摘している、貧困・虐待その他の要因で養育困難な環境下にある子ども(そして親)の社会関係を編み直す必要性があるという点には強く同感する。
財源を整え専門職を手厚く配置するという行政的介入も必要かもしれないが、普通のご近所さんたちが関われるようになれば、より早く柔軟に対応できるようにも思える。
高齢者福祉も含めてだけれども、地域の社会関係に参画できる人が増えるよう、長時間労働の制限はもっと厳しくしてもいいのではないかと思った。