世界の核被災地で起きたこと(著:フレッド・ピアス)を読みました

「水の未来」や「在来種は本当に悪者か?」の著者、フレッド・ピアスの新刊が出たので読んでみました。読んだ過去2冊もそうでしたが、フレッド・ピアスは切り口というか視点の設定がとっても素晴らしいです。

本書の原題は"Fallout"。核兵器の使用後や放射能事故の後地上に降り注ぐ放射性降下物のことを指します。その名の通り長崎・広島の原爆から、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスなどの核兵器製造過程での事故、原水爆実験、言わずと知れたスリーマイル島チェルノブイリ、最も記憶に新しい福島での原発事故など、ありとあらゆる核被害が発生した地域を著者が訪ね歩いたルポルタージュが本書の内容です。

 

本書を読んで一番驚いたのは、どれだけ多くの放射能が既に地球全体にばらまかれてきたかということ。核兵器工場での事故だったり、原子力潜水艦核兵器を搭載した戦闘機の墜落だったり、軍事機密だからといって公にされないまま陸や海にさらされるがままになっている放射性物質がこんなに多くあったとは。
アメリカのビキニ環礁での実験は日本人にとっても第五福竜丸事件を通じて知られているところだと思いますが、それに限らずイギリス、フランスのオーストラリアや南太平洋での原水爆の実験には戦慄を覚えます。第二次世界大戦後すぐのことであったとは言え、イギリス、フランスには基本的に自国以外の土地や人を道具的に扱うことへの罪悪感が欠如しているのではないかと感じさせられます。

そしてやはり福島のケースは避けて通れない話なのですが、著者の省察は冷静でバランスが取れているように思いました。著者がいう「精神的降下物」の影響の大きさを本書で改めて思い知らされました。事故直後の避難時、政府も東電も適時的確な情報を出してくれず見捨てられたと感じたトラウマ。そこから生じる専門家への不信感。何が信じられるか見極めがつかないために消えない恐怖感。これらが充満して、医学的にみれば帰還可能な場所にも元の住民が戻らない。放射能半減期よりも恐怖の半減期の方が長いかもしれないという著者の言葉が象徴的でした。

 

本書の最後は「除染」というタイトルで、役目を終えた原発核兵器製造工場の後処理について書かれています。既に停止した原発を抱えるイギリスや原子力からの脱却を決めたドイツの例などが紹介されていますが、どこも最終処分まで含めて成功裏に後処理ができているところはほとんどないことが分かります。(停止・廃止にそれだけの苦労(と費用)が伴うことを知った今、イギリスに原発を輸出しようのがどれだけ無理筋かはすぐに分かる話のように思いますが・・・)特に問題になるのが半減期が長く兵器に転用可能なプルトニウムの処分のようです。こんな危険な物質を、それも大量に、数万年単位で遠ざけておかなければならないのはおよそ現実的とは言えないというのが率直な感想です。

生み出してしまった以上は、そしてそこから便利な生活という便益を受けている以上は、原子力をどう手じまいするかについても「今の」世界がきちんと答えを探す努力をするべきだと思います。技術的にも、政治的にも。
日本がこれからもまだまだ原子力産業にこだわるというのであれば、新設よりむしろ解体・無害化の技術を開発した方がよほどビジネス的にも社会的にも有望なのではないでしょうか。

 

世界の核被災地で起きたこと

世界の核被災地で起きたこと