AIと憲法(編著:山本龍彦)を読みました

AIの勃興・隆盛が、憲法で規定されている原理や理念に投げかけている問いについて考察した本です。AIやビッグデータ関連の分野ではおなじみの選挙を含むターゲティング広告や信用スコアの話から、珍しいところでは教育・裁判制度まで広く取り上げられていて読みごたえがあります。

 

本書では下記のような憲法の規定・理念とAIとの衝突について指摘・検討がなされていました。

 

1.個人の尊重原理
新セグメント主義によって集団的拘束からの自由が侵害されたり(例:犯罪予知・再犯予測・入試・就職試験・融資審査など)、AI分析過程のブラックボックス化が個人の尊厳(自律)を侵害する。

 

2.プライバシー権(=自己情報コントロール権)
意図しない相手に情報が開示されたり分析されたりする。

 

3.自己決定原理(幸福追求権の一部)
プロファイリング・スコアリング・行動ターゲティング広告によって自己決定が阻害される。

 

4.教育を受ける権利
AI教材を使った個別化が「不自由を選ぶ自由」(例:成績が芳しくなくとも他の人と同じ速度で学習しついて行くことを選ぶこと)を阻害する可能性がある

 

5.教育の自由
教育の自由は人間の教師が担っており、「囚われの聴衆」である子どもたちに対し政府の言論が一方的に浴びせられるのを防ぐ防波堤となっているが、万一人間の教師が不在となればその役割が果たされなくなる

 

6.教育の機会均等
入試にAIを活用すると過去の偏りが温存され、これまでのデータでは不利とされている属性を帯びた志願者を不当に差別してしまう。

 

7.政治的代表(=命令委任ではなく自由委任)
市民の欲望の集計を政策決定に反映させる場合には、代議員による制度化された熟議を後退させる懸念がある。

 

8.表現の自由
フィルター・バブルに囲まれ公共圏でのインフォーマルな熟議が阻害される。

 

フィルターバブルや選挙や広告、プロファイリングによる差別の恐れについてはこれまでも聞き知っていましたが、教育の自由・機会均等にも影響が及ぶというのは新しい発見でした。

便利になると思って使ったサービスが積み重なると、知らず知らずのうちに憲法に掲げた理念や原理を掘り崩すことにつながりかねない、というのはなかなか恐ろしい状況です。結局AI自体が悪いわけではなく、どう使うかが問われているのだと思います。一ユーザーとしても「このまま使っていくとどうなるのか?」ということを自覚的に問い直し続けることが必要だと思いました。

 

それにしても、憲法の「個人の尊重」という規定は、多様な生き方を選ぶ権利を肯定するとても大事な条項ですね。自分の生き方が不当に抑圧・制限されているんじゃないかと感じる方たちにもっと声高に活用されてもよさそうなものですが、そうされないのには何か理由があるのでしょうか…。また別の機会に調べてみたいと思います。

 

AIと憲法

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