居るのはつらいよ(著:東畑開人)を読みました

臨床心理学の博士号を取った著者が、いざ臨床でセラピーをしたいと沖縄のクリニックへ飛び込んだ。そこはデイケアを併設していて、クリニックでのセラピー(カウンセリング)とデイケアでのケア、両方に従事する中でケアとは何か、セラピーとの違いとは何か、を身をもって味わい尽くし、考察している一冊。

 

著者自身も当初そう考えていたと明かすように、一般には回復に向かわせるセラピーの方がケアより上と見られがちですが、利用者・スタッフ入り混じったケアが支え合って「ただ、いる」を支える現場の様子から、いかにケアが、「ただ、いる」を確保する場が切実に必要とされているか、が伝わってきます。

(もっとも「ただ、いる」ためのデイケアが、それ自身の存続のために縛り付けるものになるとアジール(避難所)からアサイラム(収容所)に堕する危険性がある、こともあわせて指摘されていますが・・・)

 

初めはつらかった「ただ、いる」ことにも慣れ、ケアの意義にも目を開いていった著者がなぜ4年で施設を去ることになったのか?何がケアを脅かしたのか?
その考察が本書のクライマックスなのですが、それは意表を突く形で普遍的な理由で、一気に自分も飲み込まれてしまうようなものでした。
詳しくはぜひ本書をお読みいただければ、と思います。

 

しかもさらにすごいどんでん返しがあとがきにさらっと書かれています。そこまで読んだ後考え直せば、「言われてみればそりゃそうだよな」ということなのですが、それを読んでさらに自分は唸りました。著者は本書をガクジュツ書として書いたということなのですが、全くそんなことを感じさせないライブ感あふれる筆致で描かれていて、ぐいぐい読めます。学術論文とこういう文章をともに書ける才能はすごいなと思います。

 

既存の制度や施設の形態にとらわれず、「ただ、いる」ことができるアジール、山かお寺を手に入れることができる日が来たらやってみたいなぁ。

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)