反テロデモに感じる不安

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2015年1月11日、フランスで起きたテロ事件に抗議するデモ行進がありました。
このデモ行進、50カ国以上の首脳が参加したとのことで、中にはイスラエルの首相も、パレスチナ暫定自治政府アッバス議長も揃って含まれていて、ニュースで聞いた時はビックリしました。

でも正直なことを申しますと、その一瞬後、思わず「あぁ」というため息をつきたくなってしまいました。
ここまでやってしまったのか、と。

もちろん、テロの犠牲者を悼み、自分たちの社会を不安に陥れるテロを憎み、街頭に出たフランスの国民の皆さんや、これがイスラムの全てではないとデモに参加したイスラム教徒の皆さんの心情、動機については、いささかも疑う余地はなく、よくよく分かります。

一方で、これだけの首脳が、本当に反テロ・表現の自由という主張に沿って参加した訳がないだろう、というのも直感的に感じました。
まさに「うさんくせぇな」というのがぴったりな表現です。
参加した各国首脳の動機は、こちらの記事によくまとまっていました。

パリ「反テロと表現の自由」のデモに中東・アフリカ諸国首脳はなぜ来たか

この各国首脳が連なる姿、ひるがえってテロを働いている人たち、また潜在的にその動機を抱えている人たちからすると、圧迫以外の何物でもないでしょう。

そもそも端を発した風刺画から一貫して垣間見える掛け違いとしては、「これが相手にどう受け取られるか推し量る想像力がもうちょっとあったら」ということだと思っています。

あれだけ偶像崇拝はダメと主張されている中、ムハンマドを題材にした風刺画をくりかえし掲載するのはなぜなのか、理解に苦しみます。
いくら風刺とは言え、あまりに琴線に触れるところをえぐり過ぎれば、しっぺ返しが来るのはある意味当然の報いとも言ってもいいのではなでしょうか。

日本は文化的なものか何か、なかなかそこまでの琴線に触れるテーマがないのでピンと来にくいですが、例えば原爆と3.11の経験をもつ日本が放射能のおかわり頂戴と言っているような風刺画が描かれれば、それはさすがにないでしょう、と憤怒するんじゃないでしょうか。

あっちとこっちを分断し、こっちを鼓舞することが目的だとしたら、テロリストのかけたプレッシャーは極めて有効に働いたということかもしれません。
この映像見れば、大いに士気を高めるでしょうから。

国際政治の場においてはキレイごとの戯言にすぎないかもしれませんが、やっぱり根本的な解決は戦いによる制圧ではなく、対話と相互理解にしか求められないのではないでしょうか。
そこへ持ってきて、幸い、こと中東やイスラム世界とも波風を立てずそこそこうまくやってきた日本だからできることもあるんではないかと思うのですが、どう思いますか?