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教壇に立つススメ

小学校・中学校・高校、何であれ学校で教壇に立ち授業をしたことってありますか?

幸いにして自分はstart to [  ]の活動の一環で、2年続けて江東区のとある小学校で総合学習の時間のお手伝いをする機会に恵まれました。

 

その経験踏まえてですが、学校の教壇には立ってみるといいと思います。

 

何につけストレートな子どもたちの前に立つと、自分が試される心地がします。

教師でもない自分が子どもたちに残せるものって何があるだろうか?
子どもたちに伝えるに値するほどの信条が自分にはあるだろうか?
子どもたちから何を受け取りどう返すことができるだろうか?

教壇に立とうとすることは、自分という人間の棚卸しのまたとないチャンスを与えてくれます。

 

両年とも私たちがお邪魔したのは1日×3回で、ワンポイント登板に過ぎないわけですが、非日常的な外部者が入りこむから効果的という側面もきっとあるんだろうとも感じます。

毎年最後の1日は、子どもたちの1年間の学習の成果の発表を聞く日でした。
そこでは一通り聞き終わった後に、恐れ多くもわれわれから講評を伝えさせて頂くのですが、それを聞く時の子どもたちの目の真剣なこと。
さっきまでざわっとしていた子どもも含め、みんなどんな言葉が発せられるのか、自分たちの発表にどうコメントが加えられるのか固唾をのんで待っています。

どんなポイントについて、どんな言葉を選びコメントするか、それはもう背筋が伸びる思いがします。
総合学習の時間なので、テーマは子どもたちがある程度自由に選んでいます。
勝手に過大評価しているかもしれないですが、自分たちのコメントひとつでその子の中に生まれた興味関心を伸ばすことになるかもしれないし、つぶしてしまうかもしれない。

こんなエキサイティングな真剣勝負の機会、そうそうないと思いませんか?

 

それに自分で教壇に立ってみると、教師という職の難しさも身に沁みて分かります。

先生の一挙手一投足、ひとつひとつのリアクションの積み重ねが、子どもたちひとりひとりの、クラス全体の姿勢を作っていく―。
それは尋常ならざるプレッシャーです。
クラスを順調に運営していくことがほぼ奇跡のような所業に見えてきます。
正直、思ってしまいました。よくやってられるなぁって。

でも、最近中学校で卒業生を送り出した先生のSNSへの投稿をたまたま目にしました。いわく、生徒がいる勤務日210日のうち205日は辛いがほとんどだけど、残りの5日間は「感動」でたまらなく幸せな気持ちになると。

小学校の授業でも先生が最後の最後、1年間の学習の総括で伝えた自身の経験、子どもたちに分かって欲しかったこと、なぜこの学習の時間をやったのか、という話をされていたのですが、横で聞いていてとっても胸が熱くなりました。その先生の心づもりの実現の一端を担わせてもらえたことをとっても光栄に思います。

今やっていることがすぐに目に見える形で分かりやすく返っては来ないかもしれない。
でも、きっといつかと信じて種をまけば、花開くこともある。

なるほどなぁ、そういう真実の瞬間が支えになっているのか!と得心した次第です。

 

さて、話に聞くのと自分で体験するのとは雲泥の差があります。
平日昼間なんてムリ、といっても、年間たった3日のこと。
親戚や友だちを見回せば、先生も何人かいるんじゃないでしょうか?
そのうち1人くらいは、理解ある学校にいて、教壇に立たせてくれるかもしれませんよ。
ぜひご自身でも体験してみてください。

 

自分たちもお声がかかればぜひまたやらせて欲しいと思っています。
バングラデシュなどを題材にした国際理解
②①を通じた自己理解
あたりが得意分野ですが、その他テーマでも臨機応変に対応します。
もしよろしければ、ぜひ!