「憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2」(著: 井上達夫)を読みました

読了。

憲法9条を巡っては護憲派にも改憲派にも欺瞞がある。安全保障のあり方は共時的な議論を通じて見直していくべきで、憲法で内容を定め凍結すべきでない。民主主義は失敗から学び成長していく愚行の権利を保障する制度である。憲法改正の発議を奇貨として民主主義の冒険に乗り出さなければならない。」(138字)

広くリベラルと正義について論じた前著に対し、本作は憲法9条に論点を絞り、護憲派改憲派双方をぶった切っています。

護憲派の欺瞞には2種類あって、ひとつは自衛隊の存在さえ違法とする原理主義護憲派の欺瞞、もうひとつは専守防衛の範囲内であれば自衛隊日米安全保障条約は合憲とする修正主義的護憲派の欺瞞だそうです。

完全非武装中立を唱える原理主義護憲派には、他国に攻められても全く抵抗しないという絶対平和主義を貫くことを要請しており、それは一般の人々の感覚からすれば受け入れがたい過剰な要請であるということに目を向けない欺瞞、そして戦後日本の平和を守ってきたのは実質的に安保条約と自衛隊の存在であったのにその事実を認めず、訓練で殉職することもある自衛隊員を違憲状態に置くことを放置するという欺瞞があるといいます。

修正主義的護憲派は、自分たちも自衛隊は合法であるという解釈改憲をしているのにそれは棚に上げ、集団的自衛権についての解釈改憲を指弾しているという欺瞞がある。

一方の改憲派の方にも、表向き改憲の目的はGHQによる押し付け憲法を排することとしているが、実際向かっていく先は対米追従を深めるだけであるという政治的欺瞞がある。

ではどうするか?というと、そもそも安全保障論は、時と共に情勢が変わっていくこともあり、民主的な議論を通じて内容が見直され続けていかなければならないイシューであり、憲法で縛るべきでないから、憲法9条は削除すべきであるというのが、著者の主張です。

本来的な意味でのリベラルに立脚することを強く主張されているご本人にこんなこと言うと怒られるかもしれませんが、実は井上先生は正統な保守主主義の条件、抽象的理念でなく具体的な制度や慣習の蓄積を大事にすること、自由の維持を大事にすること、民主化を前提にしつつ秩序ある改革を重視すること(※出典「保守主義とは何か」宇野重規著)を満たしている人なんじゃないかと、ふと感じました。

憲法は必ずしも押し付けではない(=現制度の重視)、自由の維持を大事にする(=視点反転可能性のテスト)、秩序ある改革の重視(=憲法を盲目的に護持せず帰るべきは変える)、などなど。
保守主義とは何か」で日本の保守派が欠いていると指摘されていた何を保守するのかの根本的精神が、井上先生の場合、反転可能性テストをパスするかどうかという正義概念なのだと言えないこともないでしょう。(もっともこれは日本の歴史・蓄積から引き出された理念ではないですが)

保守とリベラルって、本当にそんなに相容れないものなんでしょうか??
あるべき論をするにあたってはリベラル、それを現実に落とし込むに当たっては保守主義、っていう使い分けはできないものなのかなぁ・・・