私とは何かー「個人」から「分人」へ(著:平野啓一郎)

アサダワタルさんの「コミュニティ難民のススメ」でリファーされていて読んだ一冊。

 

平野啓一郎さんと言えば『日蝕』書いた人くらいのイメージしかなかったのですが、小説を読むより先に論説から読むことになるとは思いませんでした。

しかも著者自身によるどういうつもりで各作品を書いたかという「つもり」話の解説付き!

ちょっとは小説読んでから本書読んでもよかったかなぁーとも思いました。

 

内容としては副題の通りで、「ブレない本当の私」というのは、絶対神に相対する一神教の信者にとって自然なあり方だけれども、もともと多神教に親しんでいる日本人には実はそうでもない。

むしろ人や場ごとにコミュニケーションを通じて形成されるそれぞれ違った顔が複数あることの方が自然で、それは「巧妙に使い分けている」と悪くとらえる必要はないことである。

この複数の顔こそが分人で、どのような人・場でコミュニケーションを重ねるかで移り変わっていくし、比重も変わっていく。その構成こそが私の個性を作っている。

 

アイデンティティーが複数あることは自然なことだし、無理してまとめる必要はない、むしろ時々で足場にできるアイデンティティーを選べる方が安心できるとも指摘されています。

個人的にも単線の生き方は危うさがあると感じていたのですが、それはこういう風に理由づけできるのか、と気づかされました。

 

鷲田清一さんの「じぶんーこの不思議な存在」を読んだときにも、わたしとは何か?はいくら自分の中だけに目を凝らしていても見えてこない、誰にとっての他人かがわたしを作ると書かれていたと記憶していますが、平野さんのいう「分人」の概念もかなり近いものがあるように思います。

何がしたいか分からないとか、自分の軸が定まらない、という方に時折出会うことがあるのですが、こういう分人の集合体が自分であると思えば、ブレ幅をポジティブにとらえられるんじゃないでしょうか。

 

遅ればせながらですが、今度は平野さんの小説も読んでみようと思います。

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)