牛と土(著:眞並恭介)を読みました
東日本大震災の原発事故により避難区域に指定された土地で、政府からの殺処分命令に同意せず牛を飼い続ける牛飼いの姿を追ったルポルタージュ。
本書を読んで改めて感じたのは、”情報として知ること”と、”理解すること”は全くレベルが違うということ。
震災後、実際に時の政府から家畜の殺処分命令が下ったということはニュースや新聞で見聞きして知ってはいたと思います。でもこうしてルポという形で、実際に命令を受けた牛飼いの人たちが、自身当時どんな状況にあり、どんな想いでその命を受け入れた/拒絶したかを提示されると、全く実相までは分かっていなかったのだ、ということを思い知らされました。
もちろんたとえ本書を読んだからと言って、『本当の意味で理解した』なんてことはま言えないだろう、ということも分かっています。でも少なくとも具体的な名前入りで経緯に触れたことは、その人たちに起きたこと・今なお直面しているであろうことに働かせることができる想像力を強くしてくれたのは間違いないと思います。
食用としての価値は失った牛たちが農地維持や除染、生き証人としての役割を担う貴重な存在たりえることや、チェルノブイリの事故の際は家畜を殺さず輸送したことなど、本書を読まなければ分からなかったことが実にたくさん出てきます。
原発のメリットを非対称に受け取っていた首都圏の人たちこそが読むべき一冊ではないかと思います。
生きる技法(著:安富歩)を読みました
特に家族関係の悩みから、心身に不調をきたすほどの生きづらさを抱えた著者が、より生きやすく生きるための技法について15の命題を掲げている一冊です。
詳しくは本書に譲るとして、特に印象的だった命題3選は下記の通り。
「自立とは、多くの人に依存することである」
「愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる」
「自由とは、思い通りの方向に成長することである」
確かその文脈で引用されていたと記憶していますが、頼れる・顔を出せるコミュニティをたくさん持っていることがその人自身にとっての強みとなる、というのはアサダワタルさんの『コミュニティ難民のすすめ』に通ずるところがあります。
自分の足場がひと所しかないというのは、そこに忍従することを余儀なくされる恐れがあり、確かに自立性を損なう危うさを孕んでいます。
平野啓一郎さんのいう”分人”のように、多様な他者関係(とそれに対応した顔)の束である自分、という存在の方がしなやかな強さを持ちうるのでは、と常々考えています。
また、愛と執着の違いについての本書の説明もなるほど、と思わせる面白いものでした。
愛される=自分のそのままの存在で受け止められる・受け入れられること。
執着される=自分の人格のうち相手にとって都合の良い部分だけを切り取られて、他の部分は捨てられること、さらに相手にとって都合の悪い部分を持っていることに、罪悪感を抱かされること。
まずは自分自身をそのまま受け入れられているか(=自愛)、もしくは自己嫌悪を糊塗するために自己陶酔に陥っているか(=自己愛)の違いが、他人を愛することができるか・執着するかの分岐点になっている、ということです。
情報が氾濫し、SNSで過剰接続にさらされる今の環境下で、自分を守り生きていくためにこの”自愛”のメソドロジーはとても大切になっていくように思います。
教育の文脈でよく言われる自己肯定感を育むに近いかもしれませんが、大人になってからでも何らかのきっかけで”自愛”を見失いかけても取り戻すための my methodを、日頃からひとりひとりが見つけておく必要があるのではないでしょうか。
ご自身の経験に引きつけて書かれているということもあり、とても読みやすい一冊です。
自分が弱った時、あるいは周りに弱った人がいる時の備えとして、一読してみるといいんじゃないかと思います。
地域が稼ぐ観光(著:大羽昭仁)を読みました
博報堂で文化人と旅をする”カルトラ”を立ち上げるなどし、のち独立した著者の経験を踏まえた地域×観光論。
タイトルにある通り、地域が観光を活性化する目的は「稼ぐこと」で、いくら人数だけを追いかけても仕方がない。
地域にゲストを招き入れてお金を使ってもらう仕組みができていなければ地域活性化にはつながらず、ゆくゆくは地域が立ち行かなくなり観光も消えてしまう。
そのお金を使ってもらう仕組みとして著者が推しているのが新価値を実現する観光体験プログラム。
新価値とは外部(=来る人)のモチベーションと地域に固有の資源を掛け合わせて、その土地が生みうる新しい付加価値のこと。
ネットにより生活者が自ら大量の情報を入手・発信できるようになった今、マスのマーケットはほとんど存在していないに等しく、小さなコミュニティーにターゲットを定め深く刺さる体験プログラムを提供しなければ、気づいても振りむいてももらえない。
情報の洪水の中、情報だけを届けようとするのはコスト効率的でなく、狭いコミュニティから実際に参加を得て、口コミで届くべき人に自然に届くようにする方がよい。
そんなこんなTipsやヒントが次々紹介されている本でした。
実際に携わっていらっしゃる事例の紹介もさることながら、本書で特に刮目なのが前半の観光をめぐる生活者の選好についての考察。レジャースポーツの衰退の度合いや、露出目的の観光PRがいかに届かないか、についての説明・分析が個人的には一番の気付きのポイントでした。
旅の目的地が元気に存続しなければ旅行産業自体も持続できないので、地域が稼ぐ観光を後押しすることは旅行会社にとっても中心的な課題です。
本書を読んで、少しずつでもこうした観光体験プログラムの共創に乗り出していかなければいけないと改めて感じました。
経験経済(著:B・J・パインII、J・H・ギルモア)を読みました
提供するサービスの中身(WHAT)にしても、提供の方法(HOW)にしても、顧客の体験が全てといっても過言ではないな、と思いを新たにしていたところ、ジャスト・タイミングで友人から紹介され読んだ本。
なんとオリジナルは20年も前の著作ということで、全く自分の不明を恥じるばかり。
著者指摘の通りまさに経験が経済価値の中心になってきているのだけれど、本書によると経験経済の次には変革こそが価値を持つようになると。
確かに運動する気持ちよさ・爽快感という経験に対して、「結果にコミットする」型のRIZAPが躍進しているのはユーザーの変革に伴走するからなのでしょう。
旅行についても最大瞬間風速的な体験の提供から、顧客の変革に付き添うプログラム的なものに価値が移っていくのではないかと考えさせられました。
本書の賞味期限はもうちょっと残っていそうです。
読むなら今ならまだ間に合うと思います。
- 作者: B・J・パインII,J・H・ギルモア,岡本慶一,小高尚子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2005/08/05
- メディア: 単行本
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ユートロニカのこちら側(著:小川哲)を読みました
AIとプライバシーについてのEテレの深夜番組をたまたま観ていて、システムの力を見通しつつも人間性を諦めないような発言をされる著者を拝見し、「面白そうだな」と触手が伸びて手に取った本書。
著者が大学院在学中に上梓し、第3回ハヤカワSFコンテストで大賞を受賞した作品です。
あらすじは、視覚・聴覚を含むバイオデータと引き換えに働かずとも自分の「好みに沿って」暮らしていけるという『アガスティア・リゾート』に関係する人々を描いた6編のオムニバス小説。
人工知能「エージェント」によるフィルタリングは、果たしてヘルプなのか監視なのか?
自分の一挙手一投足、はては思考についてさえ、社会秩序維持にとっての好ましさという軸で評価され「情報ランク」が上下するさまはディストピアに違いないと思うのですが、ちょっと気付かずにいると社会の中にそういう領域が徐々に広がっていきそうで背筋がゾッとします。
ささやかですが、自由を守るために考え続ける・考え抜く姿勢はなくしちゃいけないと思いました。
間宮兄弟(著:江國香織)を読みました(再読)
誰かが読んでいるのをふと目にして読みたくなって手に取った本書。
よくよく振り返ってみたら2014年に一回読んでいて、なんと再読でした。
でも「あれ?そう言えば」と気づいたのは読み始めてからかなり経ってから 。
1回目読んだときの印象はそんなに強くなかったということだと思うのですが、4年後の今読むと、すごくいい。他人からの評価に振り回されず、自分たちの日常を大事に生きる間宮兄弟の“生き様”が、潔く気持ちよくて、愛おしい。
なんでしょう、4年を経て年齢の10の位も変わって、自分もいろいろ違ってきたということでしょうか。
本書を読んだ後は、SNSにアクセスしようという気が全く失せました。しばらく経ってからも、SNSとの付き合い方は元通りにならない気がします。
それにしても江國香織さんの文章は読み心地がいい。
言葉の選び方・並べ方なのか、テンポ、リズムがとてもよくてまるで散文詩を読んでいるよう。それなのにシーンがすっと心に入ってくるんだよなぁ。
もしかしたらまた何年後かにそうとは気付かず「間宮兄弟」3回目読んでいたりして。その時自分は何を思うだろうか?
スペキュラティブ・デザイン 問題解決から、問題提起へ(著:アンソニー・ダン、フィオーナ・レイビー)を読みました
副題の通り、デザインが違った未来のあり方についての想像を喚起するためにできること=スペキュラティブ・デザインについての考え方や事例を紹介した本。
既存のデザインのアプローチが、今あるニーズによく応える、商業的な、問題解決のためのものに偏っているという問題意識から、世界や未来の違ったあり方について考えを巡らせるきっかけとなるような、表現的な、問題提起のためのデザインについても、より積極的に取り組んでいくべき、と指摘しています。
例えば科学や技術について言えば、その現状を分かりやすく伝えたり、現実的な商品に結実させるためにデザインを用いるのが既存のアプローチだとすれば、それらが招来するかもしれない未来を象徴するプロダクトを具現化することで、未来について思いを巡らせ、何もしないままとは”違う”パラレルな未来を構想し引き寄せるようなアプローチがスペキュラティブ・デザインの例に当たります。
答えではなく問いを提起するスペキュラティブ・デザインは、それに触れた人の解釈に委ねる余白があるという点で、よりアートに近しい存在でもあるようです。
今ある姿かたち以外の可能性を認める、未来志向である、オープンエンドで創造の余地を残している、というあたりがとても余白探究的で、読んでいてワクワクしました。
余白探究のアプローチを分かりやすく人に伝えるためのいいヒントをもらったような気がします。
問いが同定された後の問題解決はAIがより上手にこなしていくようになるんだとすると、スペキュラティブ・デザイン的なアプローチで問い立てすることこそが人間が習熟していかなければいけない領域なのではないかと思いました。
スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。?未来を思索するためにデザインができること
- 作者: アンソニー・ダン,フィオーナ・レイビー,久保田晃弘,千葉敏生
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2015/11/25
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