漂流郵便局:届け先の分からない手紙、預かります(著:久保田沙耶)を読みました

サブタイトルにもある通り、届け先の分からない手紙を預かる「漂流郵便局」は、もともと瀬戸内国際芸術祭の出展作として、廃止になった郵便局を設えなおして設けられたものでした。それが好評を呼び芸術祭終了後の現在も存続して手紙を受け入れ続けています。

 

本書はその「漂流郵便局」に実際に寄せられた手紙の紹介とともに、作者自身がどのような制作意図をこめたのかを解説したもの。

 

紹介されている手紙には、惑星探査機やペットに宛てたものから、先だった夫や子どもに向けたものまで、いろいろなものがありますが、今は亡き肉親に語り掛けるように綴られた手紙はとても心を打つもので、正直、飛行機の中で読みながら泣いてしまうほどでした。

 

作者自身の解説によると、返事のない相手もコミュニケーションをとりたがっていると信じる人間のコミュニケーションへの欲求と、粟島の海を漂って感じた自分も何もかも大きな流れの中をたゆたう一部であるという感覚がインスピレーションになって、漂流郵便局が生まれたそうです。

 

詳細は本書に譲りますが、海岸の漂着物や漂流私書箱などインスタレーションとしても(コンセプトだけでなく)優れた漂流郵便局、一度行ってみたいと思いました。

まずは本書でその一端を味わってみてください。

 

漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かります

漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かります

 

 

ソーシャルアートラボー地域と社会をひらく(編:九州大学ソーシャルアートラボ)を読みました

鹿児島のゴルフリゾートでのアートイベント インターナショナルゴルフリゾート京セラ:ART VACATION 2018 in IGR の企画・構想に向けた材料集めをしているとき、同じ九州内で芸術文化領域を取り扱っている大学がないかしら?とリサーチして、行きついたのが本書の編纂主体である九州大学ソーシャルアートラボでした。

図書館の新書コーナーで偶然その名を見かけ、どんな活動をしているラボのか気になり、思わず本書を手に取りました。

 

本書によれば、九州大学ソーシャルアートラボは、社会の課題にコミットし、人間どうしの新しいつながりを生み出す芸術のあり方を「実践」「教育」「研究」を通じて模索し、その成果を「提言」としてまとめる活動を行っているところだそうです。

そのラボが八女市の山村で行ったアートツアー・アートプロジェクト、地域資源である博多織にインスピレーションを得て上演された現代神楽、八女の山村とのつながりを福岡市の中心地・大名に現前させたアートプロジェクトの例を題材に取り上げ、これら取り組みに関わったアーティストやスタッフがいかにsocially engaged artをデザインするかを考究している一冊でした。

アーティスト、キュレーター、研究者、プロジェクトを受け入れた地元のNPOなど、いろいろな視点からアートプロジェクトの設えが検討されていて、とても興味深い内容でした。

 

中でも印象に残ったのは本書冒頭の中村美亜さんの『アートと社会を語る言葉』と、藤浩志さんのインタビュー『アートとは?』の2編。

  • アートとはなにもハイアートだけをさすものではなく、日常に常に疑問を持ち感じた違和感をどうにかしようともがくことが表現につながっていく。
  • アートは受け手とのコミュニケーションであり、アフォーダンスを与えるものである。
  • アートを共創するとき、人は生かされていると感じエンパワーされる。
  • 人は人と表現活動を共有することで、新しい共有の価値観を生み、それを大切だと思う仲間を作り出す。

 

本書41ページの下記図はとてもよくまとまっていて、ぜひ記憶に残したいと思いました。

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特に現代神楽の種明かしがだいぶ面白かったので、いつか自分でもソーシャルアートラボさんのイベントを体験しに行ってみたいと思います。

 

ソーシャルアートラボ 地域と社会をひらく (文化とまちづくり叢書)

ソーシャルアートラボ 地域と社会をひらく (文化とまちづくり叢書)

  • 作者: 中村美亜,大澤寅雄,朝廣和夫,長津結一郎,高坂葉月,ジェームズ・ジャック,知足美加子,藤枝守,池田美奈子,尾本章,小森耕太,楠本智郎,尾藤悦子,花田伸一,藤浩志,呉瑪悧,鷲田めるろ,小山田徹,九州大学ソーシャルアートラボ
  • 出版社/メーカー: 水曜社
  • 発売日: 2018/07/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

コミュニティ難民のススメ(著:アサダワタル)、住み開き(著:アサダワタル)を読みました

生きることはそのまま丸ごと表現なのではないか?-そんなことを最近考えていて、「表現と仕事のハザマにあること」という副題に惹かれて『コミュニティ難民のススメ』を読んでみようと思いました。

で、せっかくなので先に世に出された多分ルーツ的なものであろう『住み開き』をまず読んでから、ということで2冊続けての読書となりました。

 

まさに仕事と表現を分けることの違和感に耐え切れなかった著者は、「日常生活の価値観を表現の力で再編集する」という仕事像にたどりつき、ゆえに既存の職業区分にフィットすることなく、さまざまな専門性・コミュニティの狭間を往来する”難民”と化したそう。

住み開きも、公と私、日常と非日常の”/”(ボーダー)を再編集する、著者にとっては表現の一種でした。

 

 自分に引きつけて考えると、難民とまでは自認しないまでも、「何かひとつの考え方に縛られるのはいやだなあ」という感覚はあって、複数の専門領域やコミュニティを越境したいという志向は強くあると思います。

それでも著者のように複数のコミュニティを架橋するところや、仕事になるところまではやりきっていなくて、ほぼ趣味のようにいろんなところに首を突っ込んでいる状態にとどまっているのが実情です。

 

でもそもそも仕事にしなきゃいけないんだろうか?趣味じゃだめなんだろうか?
それこそ仕事と趣味の境界を再編集すると、お金の払われ具合と自分の楽しみ・一緒に楽しめる仲間の存在とかがグラデーションになっていて、必ずしも稼げない趣味は中途半端でよくない、ということにはならない気がします。

もっとも続けられることが大事なので、グラデーションの中で稼げるものを持っておくことは必須なのだけれども。

それ一辺倒で「たった一人の個人である”私”が”私”であることを受け入れつつ、”私”が”私”として気持ちよく生き続けるために愚直に”表現”をし続ける」(p30)余白を見失わないことこそが大事なんじゃないかなぁと思います。

 

やりたいことを必ずしも「職業」という枠に押し込めようとしなくていいー仕事とやりたいことがしっくりこないと悩む方にメタな視点をもたらしてくれそうな一冊でした。

 

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

 
住み開き―家から始めるコミュニティ

住み開き―家から始めるコミュニティ

 

 

熱海の奇跡(著:市来広一郎)を読みました

言わずと知れた熱海再生の中心人物、市来さんの取り組みを振り返りまとめた一冊。

Maruyaの人、という入り口でしか存じ上げなかったのですが、熱海を「クリエィティブな30代に選ばれる街」にするため打ち手を重ねてこられたのだな、と初めて知りました。

 

客足が遠のいた温泉地というと、何はともあれお客さんを集めなければという動きに走ってしまいそうですが、まずは街の人が街のことを知り、街を楽しめるようになることから始めたというところがスゴイと思いました。

フェーズごとのプロジェクトの狙い、積み上げ方は他の場所でも参考になるのではないでしょうか。

 

おんたま・・・街の人が街を知る、眠っているコンテンツを発掘する

カフェ・・・近くで面白い動きをしている人たちを凝集させる

マルシェ・・・起業に結び付きそうな作り手を見出す

ゲストハウス・・・外の人を呼び込み、街に送り出す

コワーキングスペース・・・起業したい人を集め事業化を助ける

 

自らの事業でも税金や補助金、外部からの資金に依存することなく、また域内で起業を促し経済的自立を目指そうとする目標設定はとってもいいなぁと思いました。
今の地域創生バブルがいつまでも続くとも限らないですし…。

 

あと印象に残ったのは、熱海銀座という狭いエリアで圧倒的成功を収めるという戦略的選択。ギュっと凝縮させることで、町のエネルギーや面白さを散逸させない狙いはなるほど、と思いました。歩ける範囲で面白さが積み重なっていると、やっぱり人はそこに集まるんですね。

 

全部を全部真似すればいいというものではないと思いますが、地域再生のステップの組み立て方の一つの道筋を描いたものとして、とても参考になる本ではないかと思います。

 

熱海の奇跡

熱海の奇跡

 

 

サブスクリプション・マーケティングーーモノが売れない時代の顧客との関わり方(著:アン・H・ジャンザー)を読みました

サブスクリプション」を寄付やクラウドファンディングの時間軸を伸ばした一変形として捉えられないかな、と考えて興味を持っていたところ、見つけて読んでみた一冊。

 

タイトルの通りですが、どうやったらサブスクリプション型のビジネスを立ち上げられるのか、ビジネスプランの作り方や実例を説明するのではなく、サブスクリプション型のサービスを立ち上げるとき顧客との関係をどうマネージしていくか 、Tipsを含め紹介している内容でした。

 

鍵になるのは顧客経済価値(Economic Value to the Customer:EVC)で、顧客にとっての価値をどう発現させていくか、コンテンツの提供や、ヘルプの充実、etc.によって顧客の成功を助け、サブスクリプションを続けることが有益であることを実感させることであると思いました。

それにはストーリーや信頼も大切で、長期的関係を築くためには離脱さえもスムーズにできるようにし、再び戻ってきたときにはすぐ元のステイタスで再開できるようなサービスを提供することも有効とのこと。

 

ひとたびサブスクリプション型サービスを立ち上げたのちに、顧客と関係を築いて離脱率を低く保つためのヒント集として手元にあると便利かもしれない、と思いました。

 

サブスクリプション・マーケティング――モノが売れない時代の顧客との関わり方

サブスクリプション・マーケティング――モノが売れない時代の顧客との関わり方

 

 

フーコーの美学:生と芸術のあいだで(著:武田宙也)を読みました

アートって何だろうということをぼんやり考えていた時に、人はそれぞれ形は違うけれども何かを表現しながら生きているんじゃないだろうか、いや、逆に全く同じ人が二人といないのであれば、生きていること自体すでに何らかの表現とも言えそうだよなと思うようになりました。

そんな折、フーコーが示した理念の中に「自らの生を一個の芸術作品にする」というものがあると知り、いつか関連書を読んでみたいなぁと考えていたら本書を見つけたので手に取ってみました。

 

結果から言ってしまうと、本書はフーコーの思想全体を「外」という概念を軸に再解釈しようと試みている一冊で、原典に当たったことがない自分が読みこなすにはちょっとハードルが高かったです。。。

それでもこれかなぁと掴んだポイントはこんな内容でした。

 

-外にあって取り込む真理と、練り上げる素材としての自己双方に不断に配慮し続け、身体的実践を重ね変容させていくことが生存の美学である

-芸術という創造の営みは、真理を現前させ、創造者と鑑賞者双方を変容させる力を持つ

 -だから生存の美学を実践することは、自らの生を一個の芸術作品にすることに通じている

 

なかなか難解な内容でしたが、使われている言葉や、概念の配置関係から、多分こういうフィールドで論考がなされるんだろうなぁというイメージはつかむことができたような気がします。

いつか時が来たら原典も読んでみたいと思います。

 

フーコーの美学: 生と芸術のあいだで

フーコーの美学: 生と芸術のあいだで

 

 

新築がお好きですか?日本における住宅と政治(著:砂原庸介)を読みました

日本の住まうことにかかるコストが高いのは、今の広義での「制度」的環境を前提とすると各主体の合理的選択として新築住宅を売買することが均衡点になる(そしてそこから逸脱すると不利を被る)からだ、ということを諄々と説いている一冊です。

 

広義の「制度」として取り上げられているものには例えばこんなものがあります。

1.法律・条令・・・住宅ローン減税といった税制や緩い土地利用制限しか課せない都市計画法、都市内での個別的利益が代表されやすい地方議会の選挙制度、借家人の権利をとても強くしている借地借家法など

2.取引費用・・・売買 vs 賃貸・新築 vs 中古で異なっておりそれぞれ売買、新築が有利

3.政府の介入・・・賃貸が行き詰まり結果的に新築購入の支援に傾いていく

4.文化・慣習・・・空き家になっても二次流通をためらわせる要因になっている

 

それぞれの詳しい内容・影響については本書で分かりやすく解説されているのでぜひそちらをお読みいただくとして、読み終わって改めて感じたことは、住宅をサービスとして考えたときに (=購入・賃貸、新築・中古に関わらず住まうことをサービスとして享受するとしたとき)、移動可能性という面でも社会福祉という面でも、もっと連続性がありポータブルな公的補助が必要なのではないか、ということでした。

購入した不動産に資産性があるならなおのこと住宅ローンにだけ減税措置があるのは正当化が難しいし、むしろ資産として残らない賃貸の方にこそ手厚い補助(例えば家賃補助)がなされて然るべきじゃないかとか、そもそも新築住宅を買える層(いくら低金利の恩恵や銀行側の貸し出し競争があるとは言え)にだけ優遇措置があるのは制度として逆進的じゃないかとか、これだけ地方移住だ多拠点居住だと言われている中で移動を困難にする新築購入にだけ優遇措置をつけるのか、とか、とにかくどっち向いても融通利かなすぎなんじゃないでしょうか。

「制度」は人々の選択と循環的にお互いを強化するので一朝一夕に変わらないのは確かだと思いますが、著者も指摘する人口減少や、働き方・居住場所の自由度を求める傾向の強まりから人々の選択が変わってきてそれが「制度」を変える可能性はあるのかもしれません。

 

ちなみに、最近住宅・店舗のリノベーションによる再活用が盛り上がりを見せていますが、本書を読むとそれがどれだけ社会的意義がある取り組みなのかを感じられると思います。

 

それにしても、あとがきでも本書の執筆に至った経緯に少し言及されていますが、「なんでやねん!」と感じた個人的憤りを飲み屋のくだまき話に終わらせず、研究の糧として著作にまで昇華させて回収した著者は根っからの研究者だな、と改めて感服しました。

 

 こういうその人ならではの物事や出来事の見方・捉え方のクセって、研究者の人には特に強くあるような気がします。それを可視化する場って面白そう。いつか機会を作りたいなぁ。その時にはぜひ本書著者にもご登壇をお願いしたいと思います。