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あっち側の世界、こっち側の世界

バングラデシュに小学校作ったりとかしていると「なんでそんなことしようと思ったんですか?」って聞かれることがよくあります。

そういう時は、決まって「だって『ああ、自分はあっち側じゃなくってよかった』って思える世界で生きてる人がいるのって、耐えがたくない?」って答えています。

 

自分が物心ついた頃は、世界で起きていることがテレビ映像でライブに飛び込んでくることがごくごく普通になっていました。

今でもよく覚えているのは湾岸戦争の映像です。多国籍軍(というか多分米軍)の艦船から発射されるトマホークや地対空砲が緑色に連なって空に撃ちあがって行く様子は鮮明に覚えています。幼心に「カッコいい」と感じてしまうことも、正直ちょっぴりはありましたが、画面のあっち側の人たちはこれを実際に撃ちこまれているんだと考えると、とても怖かったし「うわぁ、自分はいやだな~、勘弁してよ」って思ってました。

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あと、時代的にはもうちょっとさかのぼっているはずなんですが(多分1980年代のエチオピア大飢饉)、飢えに苦しむ自分より幼い子どもがじっとカメラの方を見ている映像もめちゃくちゃ衝撃的だった…。

そういう画を観た同じ日かは分かりませんが、夜寝るとき、「明日目が覚めたらあの画の中の方の子どもになっていたらどうしよう…」なんて考えると(わずか数分)寝付けなくなることもあったり。

それでも目が覚めればちゃんといつも通りの朝が来るわけで、そんな時は「ああ、あっち側の世界じゃなくて良かった」とホッとするんですが、一方でそんな現実を生きなければいけない人たちが今自分が生きているのと同じ時に実際に世界のどこかにいるって思うと、何とも居心地が悪いなぁとも感じていました。

 

この何とも『居心地悪い感じ』がルーツになり、その後、国際問題への興味・関心につながっていって、今に至ります。

国際問題から途上国、その中でも特に子どもたち、へとフォーカスが絞られるにあたっては、もうひとつ強烈な原体験があるんですが、それはまた改めて。