見知らぬものと出会う:ファースト・コンタクトの相互行為論(著:木村大治)を読みました

見知らぬものとのコミュニケーションがどうやって成立するのか?宇宙人とのファースト・コンタクトという極端にも思えるケースを想定し、相互行為論に基づき考察している一冊。

 

相互行為論というものに初めて接したのですが、哲学、人類学、言語学などまたがる領域の広さに、筆者の趣味であるともいうSF作品の様々な引用が相まって、とても知的に刺激的で読み始めてから2日間で一気読みしてしまいました。

 

見知らぬもの・想像できないことを想像するために、人間は身近にあるもの・今までしてきたことを支持点としてその先を見越そうとする「投射」という作用を利用しています。会ったこともない宇宙人をとても人間臭く想定していること(NASAなどその筋の専門家であっても)がその一例です。

「投射」が通時的なものであるとすれば、共時的に相互行為を成り立たせるために、何がしかの統合性が必要であり、筆者はこの関わっているものがともに支え合って作り上げている相互行為の場を「共在の枠」と呼んでいます。

「共在の枠」が相互行為の投射を支え、その方向を決定づける場となり、投射された行為は次の時点でまた新たな枠を作る。投射と枠は互いが互いを作りつつ進んでいくという関係にあるのだそうです。

 

その上で、宇宙人は極端なケースとしても、「どうなるか分からない・想像がつかない」という他者性は日常の中にもあふれていて、それでも通じるものがあるかもしれないと思ってひとまず投射してみるという「見返りを求めない信頼」こそが相互行為を成り立たせるために必要になってくるのではないか、というのが筆者の結論でした。

コミュニケーションを成り立たせる要素としてコードや規則性があるのですが、それらには複数の理由から限界があるという分析もされた上で上記のような結論を導いています。

 

本書の筆者は京大の理学科出身で現在はアジア・アフリカ地域研究科の教授だそうですが、なんというか、切り口の設定から、SF・宇宙人を題材としながら論理を進める方法から、極めて越境的で京大らしい先生だなぁと思いました。京大にはこういう面白そうな研究者の方が多いような印象を持っています。

宇宙人とは言わないまでも見知らぬ他者との出会いにどう臨めばいいのかという身近なテーマに、知的裏打ちをもって示唆を与えてくれるような一冊でした。