選べなかった命ー出生前診断の誤診で生まれた子(著:河合香織)を読みました

出生前診断の誤診(医師による見落とし)により障害を持つ子どもが産まれ、合併症からわずか1か月半で苦しみながら死んでいくという経験をした夫婦が、誤診をした医師を訴えた。産まれた後の医師の手のひら返しの対応に憤り、子どもに謝ってほしいという思いから子どもへの損害賠償も請求するが、それは同時に子どもにとって産まれたこと自体が不利益であったということを意味していた。

本書はその訴訟の経緯を追いながら、中絶権(子どもの障害を理由にした中絶権は認められていない)や戦後の強制不妊手術へも視野を広げ、「命の選択」について考えさせる内容になっている。

 

本書で紹介されていた、出生前診断で異常の可能性ありと診断された女性の「ぎりぎり指一本のところで決断している」という言葉に言い知れぬ実感がこもっていてとても生々しかった。

 

出生前診断の結果がどうあろうとも尊い命だから産むべきである、そもそも診断を受けるな、というのは間違いなく当事者でない人からの他人事の意見で、キレイごとに過ぎないだろう。

かと言って命の選択がどこまで許されるのか、というのはデザイナーベイビーにも通じる問いを孕んでいる。ことに日本では、中絶は刑法で禁じられる一方、母体保護法で経済的などの事情がある場合に限り例外的に禁止を免除されているという位置づけにあって、曖昧な運用が当事者夫婦や医療関係者の裁量を大きくし、それがかえって重圧となるという問題が生じている。

本当に難しい問題だと思う。

 

これまた理想論であるのは分かっているのだが、たとえ出生前診断で障害がある可能性があるという診断が出ても産むことをためらわなくて済む社会に近づける努力こそが必要なのではないか。

障害を抱えた子どもの養育のためのサポートの体制・制度が整い、社会から差別意識がなくなって子ども本人・家族に注がれる目線も変わり、本人の社会参加の途が開かれているーそういう社会に近づいていければ、出生前診断は産む・産まないの選択のための検査ではなく、その本来的な目的である産後の準備のための検査に近づいていくのではないだろうか。

 

今子どもがいる・いない、作る予定がある・ないに関わらず、ひとりでも多くの人が本書を手に取って考えるきっかけになってくれたらいいと思う。

 

 

見知らぬものと出会う:ファースト・コンタクトの相互行為論(著:木村大治)を読みました

見知らぬものとのコミュニケーションがどうやって成立するのか?宇宙人とのファースト・コンタクトという極端にも思えるケースを想定し、相互行為論に基づき考察している一冊。

 

相互行為論というものに初めて接したのですが、哲学、人類学、言語学などまたがる領域の広さに、筆者の趣味であるともいうSF作品の様々な引用が相まって、とても知的に刺激的で読み始めてから2日間で一気読みしてしまいました。

 

見知らぬもの・想像できないことを想像するために、人間は身近にあるもの・今までしてきたことを支持点としてその先を見越そうとする「投射」という作用を利用しています。会ったこともない宇宙人をとても人間臭く想定していること(NASAなどその筋の専門家であっても)がその一例です。

「投射」が通時的なものであるとすれば、共時的に相互行為を成り立たせるために、何がしかの統合性が必要であり、筆者はこの関わっているものがともに支え合って作り上げている相互行為の場を「共在の枠」と呼んでいます。

「共在の枠」が相互行為の投射を支え、その方向を決定づける場となり、投射された行為は次の時点でまた新たな枠を作る。投射と枠は互いが互いを作りつつ進んでいくという関係にあるのだそうです。

 

その上で、宇宙人は極端なケースとしても、「どうなるか分からない・想像がつかない」という他者性は日常の中にもあふれていて、それでも通じるものがあるかもしれないと思ってひとまず投射してみるという「見返りを求めない信頼」こそが相互行為を成り立たせるために必要になってくるのではないか、というのが筆者の結論でした。

コミュニケーションを成り立たせる要素としてコードや規則性があるのですが、それらには複数の理由から限界があるという分析もされた上で上記のような結論を導いています。

 

本書の筆者は京大の理学科出身で現在はアジア・アフリカ地域研究科の教授だそうですが、なんというか、切り口の設定から、SF・宇宙人を題材としながら論理を進める方法から、極めて越境的で京大らしい先生だなぁと思いました。京大にはこういう面白そうな研究者の方が多いような印象を持っています。

宇宙人とは言わないまでも見知らぬ他者との出会いにどう臨めばいいのかという身近なテーマに、知的裏打ちをもって示唆を与えてくれるような一冊でした。

 

 

どもる体(著:伊藤亜紗)を読みました

吃音、いわゆるどもりとはどういった現象なのかを当事者である著者が解説している本。

 

どもりにも同じ音が続けてでる連発、言い出しの言葉がでない難発、どもりが起きそうな予感に備え言葉を置き換える言い換え 、と複数パターンがあることを初めて知りました。

 

そもそも発語・発音は、呼吸や歩くことと同じようにほとんど意識しないまま行っている行動です。しかしそれを分解してみると、これからどんな言葉をどんな繋がりで言おうとしているかを予測しながら、次々に口腔内の各器官(舌、声帯、などなど)を然るべきポジションへ動かし続けていくというとっても複雑かつ微妙な一連の動作から成り立っているんだそうです。

そしてどもりの一番初めに来る症状・連発は、何らかの拍子にこの運動が整わず、身体がreadyになるまで探索的に音を出している状況。いわば言葉の前に体が出てくるような感じで、当事者としても「ノる」感覚でいられるものなんだそう。

他方「ノり」続け対処することが馴染んで自動化してくると、今度は自らの対処法(例えば言い換え)に自分が「乗っ取られる」感覚がしてくる。発話者である自分が本当に発したい言葉・トーンではないものを、聞き手が受け取り、自分が言いたかったこととして受け取っていくことに違和感を感じるようになるんだそうです。

どもりへの対応が自らのアイデンティティ・自己主体性をゆるがすほどのインパクトを持つことがあるというのも初耳でとっても新鮮でした。

 

身近にあるようで実はよく知らないものの実体を教えてくれる本書は発見に次ぐ発見で、気づきの多い読書体験を提供してくれる一冊でした。

 

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

築地ー鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと(著:佐藤友美子)を読みました

読めば読むほど「しまった!」と思わされる本。

何がって、場内市場が移転する前に築地にもっと行って、この身で街を体験しておけばよかった、という後悔が読み進めるたびに何度も沸き起こってくるのです。

 

フリーのライターとして30歳を目前に控えた著者が、ふとしたきっかけで築地の鮭屋に惚れ込み働き始めてから見聞きしたことをまとめた本なのですが、家康の江戸開府から始まり関東大震災や太平洋戦争を経て今日(というよりつい先日まで)の姿に至った歴史や、市場で日々繰り広げられる 相対の取り引きに伴う人と人の機微、そして扱っている鮭をめぐる関係者の人となり、美味しそうな魚の食べ方がこれでもかと繰り返し紹介され、読めば絶対築地に行ってしゃけ子さんのお店で鮭買ってみたいなぁという気持ちになること間違いなしです。

 

今は豊洲への移転がなり、元のままの姿というわけにはいかないと思いますが、それでもたくましく・しなやかに乗り越えていくであろう築地場外市場の空気を吸いに行きたいなぁと思います。

 

築地──鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと

築地──鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと

 

 

福岡市が地方最強の都市になった理由(著:木下斉)を読みました

もうだいぶ前になりますが、福岡に遊びに行った時に「暮らしやすそうな街だな」と漠然と感じたことを、データを挙げて解説してくれたり、またなぜそうなったのか・どんなと仕組みをしたのかを分かりやすくひも解いてくれていて、「ほぉ~、そうだったんだ」と膝を打ちながら読める一冊です。

 

街のランドマークとなるような 大きなショッピングビルもあればストリートもちゃんとあって、しかもそれが自転車で快適に行き来できる距離感の中に共存している、もちろん食べ物も酒もうまい、という福岡の良さは、私企業の人がリスクもイニシアチブも取って都市経営に当たった賜物だったようです。

行政の予算・補助金ありきではない、芽が出ないとなれば早くに撤退・方向転換する私企業の動きが良い方向に発揮されたということ。

 

著者自身も最後に指摘していますが、九州の中枢都市としての機能だけでは頭打ちが見えてきている福岡市が、今度はアジアという広域で見たときにどう立ち回っていくのか要注目だな、と感じました。

 

福岡市が地方最強の都市になった理由

福岡市が地方最強の都市になった理由

 

 

2018年読んだ本10選

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いよいよ2018年も大詰め。ということで毎年恒例の今年の読書振り返りと、その中のおススメ本の紹介をしたいと思います。

〇概観 ~ Overview

2018年に読んだ本は合計78冊でした。大まかにジャンル分けをするとこんな感じになります。

  • Alternative Economy・・・『うしろめたさの人類学』(著:松村圭一郎)、『ゆっくり、いそげ』(著:影山知明)、『WE ARE LONELY BUT NOT ALONE』(著:佐渡島庸平)など
  • 芸術・文化・・・『漂流郵便局』(著:久保田沙耶)、『住み開き』(著:アサダワタル)など
  • 社会・・・『エルサレムアイヒマン』(著:ハンナ・アーレント)、『引き裂かれた大地:中東に生きる六人の物語』(著:スコット・アンダーソン)など
  • 小説・戯曲・・・『中庭の出来事』(著:恩田陸)、『一九八四年』(著:ジョージ・オーウェル)など
  • 政治・・・『分裂と統合の日本政治』(著:砂原庸介)、『黙殺 報じられない’無頼系独立候補”たちの戦い』(著:畠山理仁)など
  • 地域/都市論・・・『アメリカ大都市の死と生』(著:ジェイン・ジェイコブス)、『あそびの生まれる場所ー「お客様時代」の公共マネジメント』(著:西川正)など
  • デザイン・・・『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。―未来を思索するためにデザインができること』(著 : アンソニー・ダン、フィオーナ・レイビー)、『新しい分かり方』(著:佐藤雅彦)など
  • 哲学・・・『勉強の哲学』(著:千葉雅也)、『メルロ・ポンティ 触発する思想』(著:加賀野井秀一)など
  • ビジネス書・・・『サブスクリプションマーケティング』(著:アン・H・ジャンザー)、『おもてなし幻想』(著:マシュー・ディクソン)など

※もし万が一「全冊見てみたいよ!」という方は下記ブクログ本棚からご覧いただけます。

booklog.jp

 

こうして見てみると自分の全体的な問題関心は引き続き、個人個人がその人自身として居られる包摂的(inclusive)な社会にどうしたら近づけるのかというところにあるのだと分かります。

この全78冊から今年は「おススメしたい本」と「自分に気付きが大きかった本」に分けてご紹介したいと思います。

〇他の人におススメしたい本4選

まずはオススメ本から。

 1.民主主義の条件(著:砂原庸介

民主主義の条件

民主主義の条件

 

分かるようで分からない政治の仕組みの基礎を分かりやすく解説してくれている一冊です。学校の教科書には載っていないリアルな動きを教えてくれるほか、あまりフォーカスされにくい政党制度や選挙管理に光を当てていて「そんなことも関わってくるんだ!」と目の覚める思いがしたことを覚えています。大人の教科書としてぜひ一読されることをおススメします。

 

2.認知症フレンドリー社会(著:徳田雄人)

認知症フレンドリー社会 (岩波新書)

認知症フレンドリー社会 (岩波新書)

 

 もちろん人数が増えていくから大事ということもありますが、認知症は社会現象である(本人の認知機能の低下だけをもってして発症とされるのではなく、社会生活に支障が生じたときに認知症とされる)ととらえると、社会側の受容力のなさが生き辛さを抱える人を生み出すという構図はあまねく存在していて(例えば発達障害)、およそ社会に暮らす誰もが関りがあるイシューであると気付かせてくれるところがおススメのポイントです。

 

3.牛と土(著:眞並恭介)

牛と土 福島、3.11その後。 (集英社文庫)

牛と土 福島、3.11その後。 (集英社文庫)

 

 3.11後、退避区域において牛を育て続ける牛飼いの人々を追ったルポです。ニュースや新聞でそのような取り組みをされている方々がいると情報としては接したことがあるかと思いますが、どんな人たちがどんな想いをもちならどんな現実と向かい合っているのかが丁寧に追われていて、今この時に何が起きているのかという現実味が一気に高まります。

 

4.私とは何か(著:平野啓一郎

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

自分は何がしたいのか、どれが本当の自分なのかとふと迷うことは折に触れあると思います。その最中にいる時はよって立つ足場がなくなるような苦しさも覚えるでしょう。確固たるゆるぎない自分などなく 、誰しも人との関係性の中で複数の「分人」を持っていてその組み合わせこそがその人を作るのだという本書を読むと、「こうでなくては」という肩の力が抜けて心が軽くなる人も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 

〇気付きが大きかった本6選

続いて自分にとって気づきが大きかった本です。

1.貧困の戦後史(著:岩田正美)

貧困の戦後史 (筑摩選書)

貧困の戦後史 (筑摩選書)

 

断片的に言葉だけ知っていた貧困の現れの実相を通史的に知れたことと、貧困者は自立的であろうとしすぎていて社会がそれを促しているという指摘が気づきポイントでした。

 

2.私はすでに死んでいる(著:アニル・アナンサスワーミー) 

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

 

<自己>がゆがむ各種障がいを神経科学の知見から分析しそれによって<自己>の源泉に迫っている本です。統合失調症自閉症など完全に頭の中に閉じていそうな障がいでさえ、自分の身体についての知覚が関わっているというのが大きな気づきでした。

 

 3.コミュニティ難民のススメ(著:アサダワタル)

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

 

いろいろな私として職業区分にとらわれず複数のコミュニティに関わっていく実践例を見せてもらったことと、その一般にはなんだかよく分からないあり方にコミュニティ難民という呼称を付けてくださったことにありがとうと言いたい気持ちです。

 

4.ゲンロン0 観光客の哲学(著:東浩紀

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

 

どちらかというと搾取的と見られあてにもされない「観光客」という関わり方が、きちんとつながりを生みうるし現状を相対化する契機にもなりうると、観光の潜在価値を言語化されていたのが気付きのポイントでした。

 

5.熱海の奇跡(著:市来広一郎)

熱海の奇跡

熱海の奇跡

 

 何をどういう順番でやっていくべきかというまちづくりフェーズ分けを提示されていたのがとても参考になりました。

 

6.遅刻してくれてありがとう(著:トーマス・フリードマン

まだ上巻しか読めていませんが、それだけでもグローバルなデジタルフローへの貢献(take するだけではなく、contributeしなければならない)をしないと完全に取り残されるという危機感を自分事として抱かせてもらいました。

 

 いかがでしたでしょうか?
何かピンとくる一冊があったようであれば、とっても嬉しいです。
来年もまた心と頭のおもむくままに本を読み続けたいと思います!

TRUST 世界最先端の企業はいかに<信頼>を攻略したか(著:レイチェル・ボッツマン)

前著「シェア」でシェアリング・エコノミーを提唱した著者の次著。シェアリング・エコノミーを可能にした「信頼」をめぐる革命がいかに起こっているのかを考察した一冊です。

 

「信頼」には、毎日顔を合わせるようなコミュニティ内に閉じた「ローカルな信頼」、国家や企業などにより垂直的に提供される「制度への信頼」、そして個人間で水平的に流通する「分散された信頼」という3つの形態がある。

 

現在企業の相次ぐ不正や政治家・役人の腐敗・スキャンダル、聖職者による虐待など、制度への信頼は低下の一方であるのに対して(特に今はインターネットのおかげで透明性が高まりすぐに露見し拡散される)、その信頼の空隙を埋めているのがレビューとレーティングに裏打ちされる分散された信頼である。

 

分散された信頼の世界は、ある意味透明性が過剰とも言える世界かもしれない。

サービス提供者または利用者としての評価、デジタルな行動履歴、取引実績のデータがそれと分かる形またはそうでない形で収集され、他人に開示される。

それが善意のもとに集められ使用されれば有益な結果を導き(あやふやな所有権に苦しめられていた貧困層に確たる財産的基礎をもたらし、公式な履歴がないため信用情報がなく金融サービスから疎外されていたこれまた貧困層マイクロクレジットへのアクセスを開くなど)、悪意にさらされれば息苦しいまでの管理社会や独占的地位を乱用するプラットフォーマーを生む。
中国で導入が進められている社会信用制度をなんて恐ろしいと思っていたけれど、 フェイスブックやグーグルによるフィルタリングの”操作”の度合い(ニュースフィードのアルゴリズム設定やボットによるレコメンデーション機能など)は、人の行動を特定の価値観のもと方向付けるという点で、社会信用制度と紙一重の差しかないとも言える。あのディストピアは、他の国に住む私たちにとってもそう遠い話ではない。

ブロックチェーンも特定の有力者の改竄・濫用を防ぐという意味では分散された信頼の最も有望な活用法かもしれないが、一切書き換えができないという特徴は一時の気の迷いから来る人生の汚点を残してしまったが最後一生背負い続けなければならないという重圧をもたらす。

 

分散された信頼をベースにした世界しか持たない一本足な生き方は、苦しい。

きっと全てがデータ化されアーカイブされるデジタル世界からの避難所となるような、フィジカルな空間・時間を求める人たちがこれから増えるのではないだろうか。

 

TRUST 世界最先端の企業はいかに〈信頼〉を攻略したか

TRUST 世界最先端の企業はいかに〈信頼〉を攻略したか