インターネットの使い方

宇野常寛さんの著作を読んでいて、ネットとの付き合い方を変えようと考えさせられた章がありました。それはnanapi・古川健介(けんすう)さんとの対談です。


宇野常寛さんの考えるインターネットのポテンシャルを開く利用法

  • 人間は自分が意識的に入力した言葉で検索している限りは何物にも出会えない
  • 検索という文化から離れることで、インターネットは初めて他者性を取り込み、欲望をつくるものになるかもしれない
  • 課題解決からスタートするのではなく(=検索文化)、コミュニケーションそれ自体が自己目的化すると、文化を生み出す前提となる「偶然性」を保証する

古川健介さんの「ポスト検索」の未来像

  • アプリ単位のコミュニティ、直接的に自分の欲望に合ったアプリをダウンロードして、そこで自己完結してしまい、ウェブの海に出て不特定多数の人間とコミュニケーションするようなことはしなくなる


インターネットを、検索やSNS上のバズによる流入目がけて使うのではなく、開放的だが濃密なコミュニケーションをとる場所として使うことがその「文化生成力」のポテンシャルを解き放つ使い方だ、というのがここでの要点でした。

これは今著者の宇野常寛さんが始めようとされている「遅いインターネット」と通底するネット観だと思いました。

「遅いインターネット」でネットが具体的にどんな使われ方がされ、利用者にどんな価値がもたらされるのか、引き続き注目したいと思います。

 

 

 

貧困・格差・社会保障に関する本を読みました

2020年最初のシリーズ読書は期せずして貧困・社会保障がテーマとなりました。

一通り読んで感じたのは、自分たちはどんなルールに同意して社会に参加することになっているのか、理念と実態の両面で分かりやすく整理して確認することがまず必要なんじゃないか、ということです。範囲が広大な上、それぞれが特定の対象者・イシューにサイロ化していて、いったい全体としてどうなっているのかが見えにくくなっているよね、というのが実感です。

義務教育である中学校の時点で、こういう大きな枠の話を分かるように伝えておくことがとても重要だと思います。どんな選択をするとなぜ不利になるのか、万一どうしても苦境に陥った時にはどこに相談できてどんな支援を受けられるのか予め知っておくことは、進路を考えたり社会に出るための前提条件なのではないでしょうか。

 

社会保障をめぐる大きな流れとしては、対応しなければいけないリスクの内容が変わってきているという背景があります。

正規雇用を中心とした完全雇用と男性稼ぎ主モデルの家族を前提とした二十世紀の工業化時代にあらわれる世帯主の所得の喪失という「古い社会的リスク」から、非正規雇用を中心とした不完全雇用と共稼ぎモデルの家族を前提とした二十一世紀の脱工業化時代にあらわれる個々人の所得の喪失とケアの危機という「新しい社会的リスク」へとカバーする領域が移動・拡大しました。(「社会への投資」より)

社会への投資――〈個人〉を支える 〈つながり〉を築く

社会への投資――〈個人〉を支える 〈つながり〉を築く

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/03/29
  • メディア: 単行本
 

古い社会的リスクについては 、男性世帯主の失業や老齢、病気、怪我を想定して、生活保護や年金を給付することが福祉国家としての社会保障の対応であったのに対して、新しい社会的リスクについては学校卒業後に安定した仕事に就けないこと、不安定な非正規職を転々としてキャリアを積めないこと、ひとり親であること、育児や介護といったケアを必要とする子どもや高齢の家族を抱えること、仕事と生活を両立させることが対象となっていて、旧来の福祉国家の枠組みでは対応しきれなくなってきているというのです。

日本の実例として「生活保護リアル」では、ワーキングプアや非正規雇用のすえ生活保護を受給せざるを得なくなっていった人たちのケースが取り上げられていましたが、これらも世界的な傾向である新しい社会的リスクのあらわれとして見ることができます。 

生活保護リアル

生活保護リアル

 

 

また一般的なイメージとは裏腹に、実は専業主婦家庭で生活が苦しい家庭が多いという分析を示した「貧困専業主婦」もケアと仕事の両立という新しい社会的リスクの表出例でした。専業主婦の多くの人は今も昔も一生働かないつもりではありません。子どもが幼いうちはそばにいてあげたいと思い離職するのですが、希望に合う条件の仕事が見つけられなかったり保育園に入れられなかったりしてなかなか仕事に復帰できず、結果世帯収入が低いまま苦しむということが実情だそうです。

貧困専業主婦 (新潮選書)

貧困専業主婦 (新潮選書)

  • 作者:周 燕飛
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

印象深かったのは、それでも専業主婦の方が働く女性より幸福度が高いという調査結果がでていることです。
一方で相対的貧困であっても子どもの発達に悪影響を持ちうる(健康面、情緒面、知能面など)という研究もあって、子どものためを思ってした選択が母親の意に反して子どもの将来に影を落とすことになるというのは何とも切ないことです…。

 

こうした新しい社会的リスクに対応していくには、社会保障がよって立つ根拠を、生存権憲法二十五条)から個人の尊重・幸福追求権(憲法十三条)に広げて考えていく必要があると主張するのが「社会保障再考」という本でした。

社会保障再考 〈地域〉で支える (岩波新書)

社会保障再考 〈地域〉で支える (岩波新書)

 

 個人を社会保障の客体から支え合いの主体と捉え直し、自己決定権を発揮できるよう個人に寄り添っていくことが必要だと指摘しています。(本書では具体案として地域包括ケアシステムをモデルとした地域による様々なリスクへの相談支援を挙げていました。)

 

 この個人の実現に寄り添う社会保障のあり方は、個人をエンパワーし就労を通じた社会参加を促そうとする社会的投資に通ずるところがあります。社会的投資とは、旧来型の福祉国家が行き詰まる中新自由主義的変革へのカウンターとして初めヨーロッパで打ち出されたもので、社会的保障を将来的見返りを生む投資として正当化・位置づけようとしました。そのため、幼児教育や生涯にわたる教育・技能訓練といった人的資本への投資、そうした投資を受けた人々の就労に向けた支援サービスに重点を置いています。(詳しい内容は上述の「社会への投資」で解説・分析されています。)

 しかしこの社会的投資戦略は、従来型の「給付」を通じた社会保障(年金、生活保護など)とトレードオフにされる危険性と隣り合わせでもあります。つまり、就労支援を手厚くする分、生活保護や手当てを縮減するという措置です。

給付による生活の支えがなければ投資が効果を生みにくいという実例も紹介されていたのですが、なんとこれがまさに日本で起きてしまったことでした。2013年頃になされた生活保護基準の切り下げがそれです。(その経緯は上記の「生活保護リアル」に詳しいです。)

当時某芸人の母親が生活保護を受給していた一件からマスコミが煽り、全体からみればごくわずかでしかない不正受給をことさら強調し生活保護が叩かれるという事態が生じていました。

 

実際生活保護の申請や給付決定がどうなされているのかという現場の様子をうかがい知るのにぴったりだったのが「絶望しないための貧困学」です。

 筆者はホームレス・生活困窮者支援を行うNPO法人もやいの理事長。著者がホームレス支援活動と出会い、様々なケースに関わっていく様子がストーリー仕立てで紹介されています。同書のコラムによれば、不正受給は全体の0.5%に過ぎないそうで、しかもその8割が収入等の申告の不備だということです。悪意ある不正受給というのは、本当にごく少ないものであることが分かります。

また本書で描かれている福祉事務所窓口で申請に対応する相談員の方たちにも、不正受給には警戒しつつそれでも支援すべき人に支援したいというスタンスが垣間見えて、救いを感じました。(実際にはケースバイケースなのかもしれませんが…)

 

こうした貧困を断ち切る手段として一般的に期待されるのが教育だと思います。しかし今の日本の教育は格差を縮減する機能を果たしていないことが「教育格差」を読むと分かります。 

教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)

 

どんな家庭に生まれたか、どんな地域に生まれたか、という本人には動かしがたい条件(まとめて「生まれ」)によって、幼少のころから教育格差が生じ、それは小学校・中学校という同質の教育を受ける義務教育期間を通じても平行移動するだけである。高校進学に当たっては、この元々は生まれに由来する格差が能力差として変換、ある種正当化され学力別に分かれている学校に振り分けられていく。その結果日本は国際的に比較しても平均的な教育格差がある国であって、近年は格差が世代間で再生産・固定化されつつあるということです。どう格差が生じ、温存されていくのか、詳しいメカニズムはぜひ本書に当たってみて下さい。(地域による教育格差をデータで示されると住む場所を選ぶのにも考えるようになりますね・・・)

 

この「教育格差」は「わたしたちはどんな社会を生きたいのか?」という章で締めくくられています。(データが豊富な一見クールな分析の本のようですが、裏側にこれじゃいかんでしょうという著者の熱き想いがある、ということがこの章からうかがえます)

冒頭でも書いた通り、現状どんな理念に立って制度ができているのかということを確認した後では、やはりこの「どんな社会で生きたいか」という理念を描くことが必要だと思います。

 一連の本を読んで(改めて)感じたのは、「個人の尊重」こそがこれからの社会を構想するうえで一番根幹に据えらえれるべき理念なのではないかということです。大きな物語などもうなく、100年にも迫ろうかという長い一生をさまざまな変化をくぐりぬけながら生き延びていくには、当人がその時その時にしたい・すべきと考える選択をすることができ、万一結果がうまくいかないことがあっても転がり落ちたりはしない。会社や世帯を通じてではなく1人1人の個人を単位として、支え/支えられるという状態が必要なんじゃないでしょうか。

それと「住まう」ということも、社会保障の中でもっと積極的に支援があっていい分野だと思います。「絶望しないための貧困学」でも、ホームレスの方がまず定住できる住居に「住まう」ことから生活が立て直されていく様子が書かれていました。ハードとしての住居の「健康で文化的な最低限」という基準がもっと高くても然るべきですし、そのために必要な家賃補助などはもっと積極的であってもいい。それに加えて、「住まう」のソフト面、すなわち当人たちが当人たちのペースで社会参加でき、人間的つながりを持ちえて、ここに居られる・居ても大丈夫と感じられる安全な“Home”であるということも社会保障で保障されるべきだと思います。
「社会への投資」でも個人をエンパワーすると同時に社会的つながりをつむぐことの重要性が指摘されていました。社会関係資本へも投資することで、ややもすると個人の頑張りのみを強調することになってしまう社会的投資戦略がはらむリスクを低減できるともされています。

最後に教育、特に就学前の幼児教育はユニバーサルサービスとして提供された方がいいと思いました。「子どもが小さいうちは家(だけ)で見るのが一番」という社会的信念が、貧困専業主婦を生み、「生まれ」による教育格差の始まりにつながっています。就学前の段階での認知的・非認知的機能の発達がどれだけ子どものその後の人生を左右するかという研究結果がある以上、子ども個人の権利として、親の就業状況や収入いかんによらず就学前の教育的サービスを利用できるようにすべきです。
「ケーキの切れない非行少年たち」という本では、図形の書き写しといった作業から、非行少年たちの中に基本的な見る・聞くというスキルが充分発達していない場合があることを指摘していました。これでは学校の授業について行けなくなるのは当然で、やってしまったことを反省する以前の基礎的能力の未発達が放置されてしまっている状態と言えます。こういった子たちであっても、就学前の段階から十分なケアを受け、見る・聞くといったスキルの発達を促すことができれば、学校からの疎外が防げて非行にも走らずに済んだ可能性もあるのです。 

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

  • 作者:宮口 幸治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 新書
 

 

こうした個人を支える一連の社会保障を実現しようとすれば、当然必要財源は今より膨らむと考えられます。財源について、「社会への投資」でなるほどと思うことが書いてありました。それは「貯蓄と税金はコインの表と裏」ということです。どういうことかというと、貯蓄も税金も万が一何かあった時の備えとして機能することは共通しており、そのための蓄えを個人がそれぞれの責任の下に行うのか(=貯蓄)、自分では貯められなくなるリスクを分かち合って社会共同で行うのか(=税金)の違いでしかないということです。

言われてみれば確かにそうだな、という指摘に思えてきます。それなのに日本人の痛税感は世界でも指折りの高さなんだそう。そうなった原因は民主党政権から第二次安倍政権にかけてなされた税と社会保障の一体改革で国民が広く苦い思いをしたことがあるとされていました。あると言われていた埋蔵金はなく、国民のために還元されるといってなされた消費増税も将来の給付水準を下げない安定化のための働きしかできず、目先の受益感がなかったことで、裏切られた感が広がってしまったのです。

だから今誠実に訴えなければならないのは、税金が高すぎるということではなく逆に安すぎるということで、その財源によって個人が生涯にわたって支えられる手厚いサービスメニューを整えます、ということなんじゃないかと思います。

これは言ってみれば大きな政府への志向であって、今さんざん失われている(世界一低いという調査結果もあるくらい)政治・政府・制度への信頼がなければなしえない転回でしょう。「これは私たちが積極的に選んだもの」という実感をひとりひとりの個人が持ち、政治・政府・制度への信頼を回復させるためにも、まずはやはり「私たちはどんな社会に生きたいのか」よく議論をつくし、理念を共有することから始めるしかないのではないでしょうか。

私は本屋が好きでした(著:永江朗)を読みました

本屋の店頭に並ぶ韓国や中国を嫌い、蔑視するような「ヘイト本」を目にしてげんなりした著者が、なぜそのような本が作られ売られてしまうのか、本屋、取次、出版社、編集者、ライターと本の流通における川下から川上までさかのぼって探究した本。

確かに、何でこんな本ができるんだろう(どういうつもりで出してるんだろう)、誰が読んでるんだろう、というのは気になっていたので、ちょっと読んでみた次第です。

 

おおくくりにして言ってしまえば、本をパブリッシュする(公に出す)ことについて、関係者が軒並み当事者意識を欠いている、というのが著者の主張であったと思います。(これをナチスドイツにおける「アイヒマン」と喩えていました。)

仕事だから書く・作るライター・編集者。売れるから作る出版社。内容で選別しないことになっている取次。取次から配本されるので店頭に並べる書店・・・。

誰が一番ということはないのだけれど、目にした人(特にそれが日本で暮らす韓国・中国にルーツがある人たちだったら)がどれだけ追いつめられるかや、「本」であるからこそ持ってしまう影響力(読み手に受け取られ、ヘイトスピーチの材料になる)についての想像力を働かすことができれば、「さすがにこれはちょっと」と踏みとどまれる一線があるはずだ、と指摘しています。

 

本書での著者のメインの主張については、「そうなんだ、そうだね」というところなのですが、「配本」という本に独特の流通方法が、思考停止を招いているという著者の詩的は興味深かったです。

出版社はとりあえず本を作って卸してしまえば、売り上げが入ってくる。書店は売りたい本・欲しい本を注文せず(または規模などによってはしたくてもできず)、配本されたものを売るしかない。返本すれば返金されるが、人手が足りず配本される本を細かに精査できない。だから本の粗製乱造と書店で店頭に並ぶことが起きてしまう。

結果忙しいけれども売れ残り=返本が多く、そこまで売り上げが上がらない。(なんだかちょっとこの辺りはアパレル業界を彷彿とさせるものがありますね・・・)

好きな本・売りたい本・売るべきと思う本だけを作り・売りビジネスを成り立たせるのはよほど難しそうです。

それと数千冊の初版本はなかなか町の本屋さんに入ってこないということでしたが、その格差の影響も気になるところです。いくらamazonがあっても検索できなければ発見することはできないわけで、思わぬ本との出会いの可能性があるかないかが住んでいる場所で変わってきてしまうのはちょっとなぁと思いました。

 

それと本筋とは外れるのですが、いわゆるネトウヨ嫌韓反中本の読者は層が違うというインタビューも「へぇ、そうか」という発見でした。曰くネトウヨ層はインターネットや動画で有名人が言っていることをなぞっているのであって、本はタイトルと帯しか見ておらず読まない。指向としても反メディアが主であって、その中に韓国・中国(の取り上げ方)がある。一方嫌韓反中本を買って読んでいるのは高齢者の男性である、ということでした。

 

外国人の訪問がとみに増えている今日この頃ですが、熱心な人ほど日本語を勉強して通ってくる人もいることでしょう。旅先の本屋をのぞいてみるのは、その土地を感じる一手段だったりすると思うのですが、その人たちが平積みされたヘイト本を見たらなんと感じることか・・・。うーん、なるべく恥ずかしくない棚になっていることを願うばかりです。

 

私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏

私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏

  • 作者:永江朗
  • 出版社/メーカー: 太郎次郎社エディタス
  • 発売日: 2019/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2019年読んだ本まとめ&おススメ7選

2019年も残すところあと2日。ということで毎年恒例の今年読んだ本の振り返りをしてみたいと思います。

 

1.読んだ本まとめ

読んだ本をジャンル分けすると下のようになりました。

  • 移民・難民・・・外国人の子ども白書(著:荒巻重人)、ふたつの日本(著:望月優大)、奴隷労働(著:巣内尚子)、憎しみに抗って(著:カロリン・エムケ) ほか
  • テクノロジー・・・AIと憲法(著:山本龍彦)、アントフィナンシャル(著:廉薇)、アフターデジタル(著:藤井保文) ほか
  • SNS・メディア論・・・フィルターバブル(著:イーライ・パリサー)、デジタル・ポピュリズム(著:福田直子)、戦前日本のポピュリズム(著:筒井清忠) ほか
  • 民主主義・・・民主主義にとって政党とは何か(著:待鳥聡史)、日本の地方政治(著:曽我兼悟)、一般意志2.0(著:東浩紀)、 選挙制を疑う(著:ダービッド・ヴァン・レイブルック) ほか
  • マーケティング・・・ファンベース(著:佐藤尚之)、「つながり」の創り方(著:川上昌直)、僕らはSNSでモノを買う(著:飯高悠太)、ジョブ理論(著:クレイトン・クリステンセン)、なぜ女はメルカリに、男はヤフオクに惹かれるのか(著:田中道昭、牛窪恵) ほか
  • 地域マネジメント・・・老いる家崩れる街(著:野澤千絵)、世界の空き家対策(著:米山秀隆)、観光公害(著:佐滝剛弘)、凡人のための地域再生入門(著:木下斉) ほか
  • 子育て・・・私たちは子どもに何ができるのか(著:ポール・タフ)、父親の科学(著:ポール・レイバーン)、0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書(著:落合陽一) ほか
  • 小説・・・万波を翔ける(著:木内昇)、カザアナ(著:森絵都)、1R1分34秒(著:町屋良平)、神様のカルテ0(著:夏川草介) ほか

大づかみに眺めてみると、

『だんだんスカスカになっていく日本でどうやって生きていこうね?』

ということを考える内訳になっていたんじゃないかと思いました。

働き手が減るのに移民・テクノロジーを取り入れて対応できる/するのか?とか、
空き家どうするんだ?とか、
再分配を含む社会制度をどうやって作っていくんだ?とか、
合意形成の方法やそこに向けたコミュニケーション、情報伝達はどうするんだ?とか、
ビジネスや子育てはどうやっていくんだ?とか、
そんなことですね。

2.おススメ本7

続いておススメの本ですが、今年は7冊をピックアップしました。

 

①FACTFULLNESS

 最初に取り上げるのはなんと言ってもこちら。

世界はイメージしているよりもずっと改善が進んでいるということをデータをもって教えてくれる一冊。でもすごく読みやすいです。今年1番の衝撃の本でした。世界の見え方が大きく変わるとともに、日本の位置取りについても考え直さざるをえないような経験でした。

 

②選べなかった命

選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

 

 出生前診断にあたった医師が見落とした結果、障害を抱えた子どもが生まれ、わずか1か月半で我が子を失った夫婦が、医師を相手どり損害賠償請求の裁判を起こした。そこには子どもに対する損害賠償も含まれていた。それはつまり生まれた「不利益」に対する賠償を意味するーーそのような裁判の経過を追いながら、出生前診断や中絶をめぐり関わる当事者たちが直面する現実に迫っている本でした。

本文中で紹介されていた、出生前診断で異常の可能性ありと診断された女性の「ぎりぎり指一本のところで決断している」という言葉を目にすると、「命の選別だ」という非難がいかに現実感のない潔癖なものに過ぎないかまざまざと思い知らされますし、他方完全に何でもありにしていいかと言われればそれも違う気がする…。

親や医療従事者といった当事者だけにのしかかっている重い判断に想像を働かせる材料になる一冊だと思います。

 

③父親の科学

父親の科学―見直される男親の子育て

父親の科学―見直される男親の子育て

 

母親との関係ばかりが注目されがちな子育てにおいて、父親が果たす役割に光を当てた本。意外にも父親の役割は大きくて、なんと生まれる前から影響は始まっている、ということが分かります。今子育て中のお父さんはもちろんのこと、これからお父さんになるかもしれない方、お父さんを部下に持つ上司にもぜひ読んでもらいたい一冊です。

 

④アントフィナンシャル 

一転して次はテクノロジー分野の一冊。アントフィナンシャルというのは中国のアリババのグループでざっくり言うと金融機能を引き受けている会社です。日本でも○○pay元年となった2019年ですが、そもそも決済を押さえるとどんなことになっていくのか、という実例を、アリババグループの辿ってきた足跡から窺い知ることができます(いかに日本が緒についたばかりで隔たりが大きいのかも・・・) 。中国はデータが監理されるディストピアだからと目を背け続けるのはもったいなさすぎます。データ管理と便益をどうバランスさせていくか考えるうえでも本書はいい材料なのではないかと思います。

 

※ちなみに中国のさらに新しい動向をまとめたのが「アフターデジタル」です。アリババが作った実店舗がどういうコンセプトなのか、日本のネットスーパーと何が違うのかなどよく分かります。よければ合わせてどうぞ。

アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る

アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る

 

 

⑤デジタル・ポピュリズム

デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)

デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)

 

最新のデータサイエンスとSNSが手を携え、世論形成や人々の投票行動に影響を及ぼす様子を追っている本です。例として取り上げられているのは、主にアメリカやヨーロッパでの選挙ですが、日本でも同じような応用ができないはずがありません。自分をとりまく情報環境にどんなリスクが潜んでいるのか、知って情報に接するのと知らないで接するのとでは大きく違いが生まれるでしょう。心構えを持つという意味で、読んでみるといい一冊ではないかと思います。

 

⑥奴隷労働

奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態

奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態

  • 作者:巣内 尚子
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: 単行本
 

 今や来日している技能実習生で最も出身者が多いベトナム。そのベトナムからは、出国前に多額の借金を背負って、技能実習生が日本にやってきているという現実があります。しかも技能実習生は基本的に受け入れ先の会社を選べない。そのため、返すまでは受け入れ先がどんな会社であろうと我慢せざるを得ない。いわば借金をかたにとられて奴隷状態に置かれている実習生が少なからずいる、ということです。

本の中では岐阜県のアパレルメーカーで働いているという実習生の例が取り上げられていましたが、彼ら・彼女らが作った製品が自分たちの身近で売られているかもしれないし、もしかしたら買ってさえいるかもしれない。これはどこか遠い離れたところの話ではなく、自分たちに直接つながっている問題であるーーそう気づかせてくれる本だと思います。

 

⑦万波を翔ける

万波を翔る

万波を翔る

 

最後は読んだ小説から一冊。時は幕末。傾きかけた徳川幕府の外国方(諸外国と折衝にあたる役所)に勤める下僚が、開国、諸条約の締結、明治維新にかけてすったもんだ奮闘する様子を描いた小説です。志士や政権の中枢にいた幕閣でなく、外国方という新設のどちらかというえばマイナーな部署の、しかも中級~下級の役人の目線を通じているところがとても新しく、一気に二日くらいで読み切ってしまう面白い物語でした。

部下が練り上げて持って行った案をさも自分が思いついたかのように語る上司や、外国との折衝中に「自分は本件担当ではない」と言い放ちさじを投げてしまう上司、また国として一枚岩で外国に当たらなければならないのに抜け駆けをしようとする他藩(つまりは薩摩藩ですが)など、今に生きるサラリーマンが読んでも「あぁ、あるよね」と同情を寄せてしまうようなシーンがたくさんあります。日経新聞の夕刊に連載されていたそうですが、確かにぴったりな内容です。働く人の息抜きにぜひどうぞ。

 

以上メジャーな本も含まれていますが、もしまだ読んでないものがあってもしよければぜひ読んでみて下さい。

 

今年も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

また来年お会いしましょう。笑

居るのはつらいよ(著:東畑開人)を読みました

臨床心理学の博士号を取った著者が、いざ臨床でセラピーをしたいと沖縄のクリニックへ飛び込んだ。そこはデイケアを併設していて、クリニックでのセラピー(カウンセリング)とデイケアでのケア、両方に従事する中でケアとは何か、セラピーとの違いとは何か、を身をもって味わい尽くし、考察している一冊。

 

著者自身も当初そう考えていたと明かすように、一般には回復に向かわせるセラピーの方がケアより上と見られがちですが、利用者・スタッフ入り混じったケアが支え合って「ただ、いる」を支える現場の様子から、いかにケアが、「ただ、いる」を確保する場が切実に必要とされているか、が伝わってきます。

(もっとも「ただ、いる」ためのデイケアが、それ自身の存続のために縛り付けるものになるとアジール(避難所)からアサイラム(収容所)に堕する危険性がある、こともあわせて指摘されていますが・・・)

 

初めはつらかった「ただ、いる」ことにも慣れ、ケアの意義にも目を開いていった著者がなぜ4年で施設を去ることになったのか?何がケアを脅かしたのか?
その考察が本書のクライマックスなのですが、それは意表を突く形で普遍的な理由で、一気に自分も飲み込まれてしまうようなものでした。
詳しくはぜひ本書をお読みいただければ、と思います。

 

しかもさらにすごいどんでん返しがあとがきにさらっと書かれています。そこまで読んだ後考え直せば、「言われてみればそりゃそうだよな」ということなのですが、それを読んでさらに自分は唸りました。著者は本書をガクジュツ書として書いたということなのですが、全くそんなことを感じさせないライブ感あふれる筆致で描かれていて、ぐいぐい読めます。学術論文とこういう文章をともに書ける才能はすごいなと思います。

 

既存の制度や施設の形態にとらわれず、「ただ、いる」ことができるアジール、山かお寺を手に入れることができる日が来たらやってみたいなぁ。

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

エクソダス(著:ポール・コリア―)を読みました

移民についての議論は多くの場合、「受け入れ反対!」と「受け入れ容認!」という相容れない二つの立場の激突のようになりやすい。でもこれはともに極端なスタンスで、そこに欠けているのは「どのくらい」「どのように」という”How"の議論であるというのが著者の基本的な考えです。

 

移民がもたらす経済的、社会的影響を①移民本人、②受け入れ国の先住人、③移民を送り出した国に残された人、の3主体それぞれについて検討した結果、
1.移住先の社会に同化しない移民が増えすぎないように人数上限を設けて移民を受け入れるのが望ましく、
2.受け入れた国では多文化主義を取るより同化を進めた方がよい、
という方向性を示しています。

 

興味深かったのは、移民の経済的な影響は実は大きくないということ。
移民先の国では雇用が奪われる、賃金水準が下がるなどの懸念がされることが多いですが、実証データが示すところでは、最低水準の雇用においてのみ先住人と移民との競合が起きるのみで、移民の受け入れが雇用全体の賃金を引き下げる効果はあまりないそうです。また送り出しの家族にとっても移民者からの仕送りは元の収入の一桁%に過ぎず、追加的な収入としてはあまり大きなインパクトを持っていません。移民本人にとっては確かに大幅に給与が上がりますが、祖国や家族と離れて暮らすことに伴う不利益や移住先で受ける差別的待遇など非経済的要因に相殺され、幸福感は上がらないことが示されていました。

 

むしろ移民の効果が効いてくるのは社会システムへの影響なんだそうです。
なぜ富裕国と貧困国でこんなにも所得が異なるかというと、それはひとりひとりの労働者の生産性が異なるからではなく、社会システムが異なるからだというのが著者の主張です。他人や社会に対する高い信頼、安定した法制度、所得再分配を含む寛容な社会福祉制度などがそれに当たります。

富裕国は長い時間をかけて経済的繁栄に適合する社会システムを作ってきました。そこに移住先の社会にあまり同化せず、もともといたどちらかというと低信頼の社会システムをひきずった移民の大きなグループができてくると、どうなるか?

先住民と移民のグループが交わらないのはすぐわかりますが、なんと先住民のグループ内でも個人的関心への引きこもりが生じ、もともと根付いていた社会システムが変調をきたしてしまうのだそうです。これが、同化しない移民のグループが大きくならないよう、移民の受け入れ数を制限する根拠になってきます。

また一般に言われる「頭脳流出」についても、それがいつも送り出し側の国にとって悪い影響を及ぼすとは限らないのも、社会システムの面から説明がつきます。ひとつには移住した人がロールモデルとなって送り出し国側の家族の教育意欲を高めること(その全員が移住できるわけではないので、結果的に送り出し国側に教育を受けた人材が残ることになり、それが社会システム改善への圧力になりうる)、ふたつには留学という形で国を出て戻る人が多い場合、一時的にでも富裕国の社会システムに触れた人々が帰国後祖国の社会システム改善にその経験を活かせる可能性がある、ということです。

 

扉を開けるか閉めるかという単純な二者択一に陥らず、また目の前の出来事に流され感情的な議論で政策を決めないよう、冷静な分析で「移民」をめぐる政策オプションを検討している本書の議論の枠組みは、場当たり的対応を避け先んじて考えておくために、とても有用性が高いのではないかと思いました。

 

エクソダス

エクソダス

 

 

ちなみに、本書の前にイギリスで暮らす移民1世・2世の声を集めた「よい移民」という本を読みましたが、そちらは移民当事者が移民先の社会で直面する状況がよく伺い知れる内容になっています。(読んでいてヒリヒリします。)本書と合わせてどうぞ。

 

よい移民

よい移民

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2019/07/29
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

空き家に関する本を読みました

去年献本頂いた「新築がお好きですか?」を読んで以来気になっていたテーマのひとつが「空き家」。

uchiyamatakayuki.hatenablog.com

読む本のすき間がちょうどぽっかり空いたので、読みたいリストに入れていた関連書をまとめて読んでみました。

 

緩い土地利用規制や強すぎる私権などのため焼き畑的に広がった新築住宅が、居住者の老いとともにどのように「負」動産化していくかを解説していたのが、「老いる家 崩れる街」(著:野澤千絵)。 
登記が義務ではないこと、「負」動産は相続放棄されることなどを通じて、持ち主不明の荒れた住宅が増えていくかもしれないという未来図はとても恐ろしくて読んでいて目がくらくらしそうでした。とくに戸建てよりも合意形成が難しい集合住宅の場合を思うと、どれだけの困難が待ち受けているか考えたくなくなりそうなほどです。

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

 

 

そうした前著を受けて、たとえ個々の家が老いても街そのものが衰えることをまぬがれるためには、各住宅の住人が自分亡き後持ち家をどう処分するか予め考えて備えておく必要があるということを、その実際のステップと合わせ説いているのが「老いた家 衰えぬ街」(著:野澤千絵)です。巻末には住まいの終活シートも収められていて、すぐ考え始めたいという方にはもってこいの内容になっていると思います。
住まいの終活の困難さを考えた時、マンションなどの集合住宅は今現在デベロッパーの売り逃げに近いものがあるのではないでしょうか。建てて売った利益は自分たちのもの、壊す時の不利益は住み続けた人または賄いきれない部分は公金投入というのではアンバランスです。

老いた家 衰えぬ街 住まいを終活する (講談社現代新書)

老いた家 衰えぬ街 住まいを終活する (講談社現代新書)

 

 

「土地は誰のものか」も同じような文脈で書かれた本でした。

土地はだれのものか―人口減少時代に問う

土地はだれのものか―人口減少時代に問う

 

 

ちなみに外国ではどうなってるんでしょう、いい事例ないのかなと思って読んだのが「世界の空き家対策」です。アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国の事例が紹介されていました。イギリス、ドイツは移民の受け入れもあって、住宅を求める需要が日本より全然強いという違いがあり、空き家はなるべく早く市場に戻すというのが基本的な姿勢になっているようです。アメリカの人口減少都市を取り上げた章では、地元のコミュニティやNGOが主体となって空き家の転用や市場再投入に取り組み、町の住環境と不動産価値を守っている事例が紹介されていました。そのうち特にランドバンクという仕組みは、これから相続放棄が相次ぎそうな日本でもなるべく公金投入を抑えつつ空き家を減らし地域の価値を守るため役に立ちそうだな、と思います。 

 

「年金」や「社会保障」については、人口動態などによってある程度将来負うべき負債が見える化されている領域なのに対して、「負」動産はどれだけの規模の負担を社会に強いるのか今のところほとんど明らかにされていない未認識の負債です。
都市計画が甘く土地利用を緩めて住宅地を際限なく広げていったことも、災害に際し罹災するリスクを高めたり行政効率を損ねたりして、社会に見えにくいコストを課しています。(しかも今この時も引き続き積みあがり続けているという・・・)

何ともお先真っ暗な領域ですが、見ぬふりをして放っておいてはツケが大きくなる一方。まずは自分の実家の終活からだけでもスタートしたいと思います。