「蜜蜂と遠雷」(著:恩田陸)を読みました
ピアノコンクールを舞台に、若きコンテスタントたちとそれを見つめる大人や周囲の人たち、音楽とは何かを描いた群像劇。
この小説では音楽が題材になっていましたが、それに限らず、一人ひとりの人はもともとそれぞれの本能的な喜び、根源的な楽しみをもっているはず。
でも、いろいろな事情や、しがらみなんかもあって、過ぎゆく日々の中でそれははるか後ろの方に遠ざかっていってしまう。ちょっと違う方に逃げてしまったり、見て見ないふりをしてしまったりするもの。
でも、本当の意味で生きるには、それとちゃんと向き合わなきゃいけない。
せわしない日常の中でも折り合いをつけて引き受けて行かなきゃいけない。
それは、いつか、どこかからやってくるものではない。
自分の中にありつづけるものを、今、この瞬間に生きなければ。
それは骨が折れることかもしれないけど、乗り越えてなお余りあるほどの、自分にとって、そして周りの人にとってもmovingな生き方が待っている。
そんなメッセージが込められていたように感じました。
それにしても、本作は挑発的だなぁというのも同時に感じた感想です。
そもそもピアノコンテストを文章で作品に仕上げるというのも、挑戦的な試みです。
本屋大賞受賞後のインタビューで「読者の側でいたい」と語る著者の記事を読んだことがありますが、本作は、そのスタンス・スタイルで文章を書く覚悟と、書いた作品がいかなる存在でありたいのかを、登場人物とそれぞれの演奏する音楽に載せて提示している、温かみのある外見とともに内奥は「熱い」小説なんじゃないかと思うんですが…。
読み手は、この本質的な問いについて来られるか?
それこそ賞の審査員は、本作を受け容れられるか?
本書を“ギフト“とするか、“災厄“とするかは、あなたたち次第である。
そう言って著者がニヤリとしていそうな気がしたのは私だけでしょうか?