民主主義にとって政党とは何か(著:待鳥聡史)を読みました

本書に先立つこと2冊、戦前日本のポピュリズムとメディアの関係に関する本を読んでいました。そこで語られていたことは、政党政治をバイパスすることは、権力による大衆の操作を容易にする危険性があるということでした。

 

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民主主義を機能させる上での政党の重要性は以前読んだ『民主主義の条件』でも主張されていたことです。
ただ内外の情勢を見てきてどうも政党の退潮ぶりは否めないなぁという思いを持っていたため、なんでそうなっているのかと、本当に再興させなければいけないものなんだろうかということを知りたい・考えたいと思っていたところ、ちょうどぴったりくる本書に出会って読んでみた、というのが背景です。

 

本書の内容としては、①政党の存在意義、②政党の歴史、③政党を分析するためのフレームワーク、④日本の政党政治、⑤これからの政党、という構成になっています。

気になっていたそもそも政党は民主主義に不可欠な存在なのかという疑問については、「公益」を一義的に決めることはできないから、異なる「私益」を代表する複数の政治勢力が競い合うことで結果的にバランスの取れた選択がなされていくという多元的政治観にその答えが求められました。(自分たちは「公益」を提供できると独占が生じると全体主義につながる)

またなぜ今政党(特に既成政党)がどこの国でも退潮気味なのかという点については、既成政党は続く経済成長を前提に増えていくパイの分配問題に適合していたのに対し、豊かさが当たり前となり「新しい争点」(環境問題、地方分権など)が増えた結果対応できなくなってきたとともに、低成長・グルーバル化が常態となると分配する原資を確保できなくなりむしろ負の分配問題に対応せざるを得なくなって、有権者の利益や社会と遊離し始めてしまっているから、との指摘がされていました。

どちらの疑問についても「なるほど、そうか」と思わされる回答が示されていて、読んだ甲斐がありました。

 

さらに政党政治の退潮を踏まえ、代議制民主主義に代わって直接民主主義を取るべきではないかという主張への著者の対論も説得力があり、建設的だったと思います。
すなわち、直接民主制を取ろうとすると有権者が判断のために必要な情報を収集・吟味する負担が過重になるところを、政党が課題や制度間のリンケージとトレードオフをパッケージとして示すという情報の縮約機能を有している、ということです。さらにそのパッケージを作るにあたっては、熟議の機会をオープンにすることによって有権者がその作業に参加するための回路を開くこともできると位置付けています。
個人的には複雑化・タコツボ化した社会で有権者が「これは自分たちの決定である」という納得感を得るためには熟議が必要だと考えていたので、ここに接続しうるというのは嬉しい発見でした。

 

この他、政党を見るフレームワークとしての政党システム論や基幹的政治制度(選挙制度と執政制度)といった理論の話、日本における政党政治の歴史についても分かりやすくとまっています。
政党と政治が今ある姿になぜなっているのかを理解するのにとってもためになる一冊でした。