「イスラーム国の黒旗のもとに ―新たなるジハード主義の展開と深層― 」(著:サーミー・ムバイヤド )を読みました

読了。
ISIS、ヌスラ戦線など、最前線でジハードに当たる個人を丁寧に描き連ねることで、かえってこれらの運動がいかに過去の経緯に根差した抜き差しならぬものであるかが見て取れます。

「ISISの思想・人的基盤は一朝一夕に形成されたものではない。サラフィー主義・ジハード主義という思想は14世紀初頭の神学者にルーツを持ち、アフガン・イラク紛争を経て培われたネットワークがジハードのノウハウを継承している。ISISはすぐ消滅する一時的存在ではないという事実を認識しなければならない。」(140字)

圧倒的な量の個人名が出てくる本です。
アラブ風の名前に慣れない者としては、各個人名がすっと頭に入らず、追うのが大変でした。。。
しかし、ムスリム同胞団アルカイダ、ISI、ヌスラ戦線、ISISといった運動体相互間で、どんな人的つながり(統率者=非統率者、指導者=非指導者、戦友)があったのか、本書でよく明らかにされています。そしてISISが軍事的に強いのは、イラクフセイン政権下で軍人だった人たちをまとめて要職につけているから。

時にはアメリカ占領下のイラクの刑務所も、ジハード主義者の出会いの場ともなっていたようです。
小説で少年院や刑務所が次の「プロジェクト」のチームビルディングに貢献してしまうという場面が出てくることがありますが、まさにそんな感じでしょうか。

イスラムの多数派であるところのスンナ派に指導力のあるリーダーがおらず、その間隙をぬってバグダーディーがカリフを僭称できたという指摘は、なるほど、と思いました。

戦況としては最近ISISは徐々に追い込まれていますが、たとえまとまった領土を失ったとしても、運動のエネルギーは薄まって地理的に拡散するだけで、きっとゼロにはならないんだろうな。

これ以上の惨劇を防ぐために一体何ができるんだろうか…

 

イスラーム国の黒旗のもとに ―新たなるジハード主義の展開と深層―

イスラーム国の黒旗のもとに ―新たなるジハード主義の展開と深層―

 

 

 

「ビットコインとブロックチェーン:暗号通貨を支える技術」(著:アンドレアス・M・アントノプロス)を読みました

読了。
wired立ち読みしても全然分かんなかったけど、この本の末にある解説は超まとまっていて分かりやすかった!

ビットコインでは、ネットワーク参加者が分権的にデータを圧縮・検証・アーカイビングし、結果の集積=ブロックチェーンをユーザー間で同期しながら共有する。圧縮には大量の計算が必要で、一時点のデータを改竄すると以後のデータも全て再計算しなければならないため、実質的に改竄を困難にしている。」(140字)

ビットコインを成り立たせているブロックチェーンの原理を技術的に解説した本。
コードも出てきて「うへ、無理かも」と思ったのですが、分からないところ飛ばしながらならぎりぎり読みこなせます。

基本的には、簿記でいうところの仕訳データをどう束ねて保存して共有するか、という仕組みなんだなぁと理解しました。

複数の仕訳データをまとめて圧縮するのですが、その時、仕訳データ本体と、まとめられた塊(=ブロック)についての情報と、ひとつ前の塊についての情報と、もうひとつの変数Xをある関数に当てはめ、その答えが一定の条件(分かりやすく言ってしまえばある数値以下になること)を満たすようなXを探しあてられたら圧縮が成功するという原理になっています。
X自体は総当たりで当てはめてみるしか探す方法がないということで、そのため圧縮時にとてつもなく大量の計算を行わなければいけません。
各塊=ブロックは前のブロックの情報を参照しているため、ある時点のデータを改竄しようとすると、その改竄が以後のブロック全てに波及し、全ブロックについて再計算・圧縮し直ししなければならず、その計算量が膨大すぎるて実質改竄が難しいため、たとえデータをパブリックに共有していても適正に保存し続けられるという仕組みになっています。

マウントゴックスの一件があって日本では長らく胡散臭く見られていましたが、果たしてブロックチェーンは(どのくらい)破壊的イノベーションなんだろうか?と気になっていたのです。

本書は、どちらかというとビットコイン・ブロックチェーンの構成要素ごと(トランズアクション、ブロック、ブロックチェーン、ウォレットなど)の解説書で、どのくらいのインパクト・応用性あるかというのは他の本あたった方がよさそうですが、仕組みの理解という意味では役に立つ一冊でした。
最初に読めてよかったかもな。

さて、次は応用についての本を読んでみよう。

 

ビットコインとブロックチェーン:暗号通貨を支える技術

ビットコインとブロックチェーン:暗号通貨を支える技術

 

 

「ジニのパズル」(著:崔 実)を読みました

読了。
99%はヒリヒリした感じですが、残り1%を経て読後感は清々しかったです。

「差別する日本人と差別に対し無為な朝鮮人双方にやりきれない想いを抱え、祖国に対する「革命」を試みた少女ジニの挫折と再生を描いた物語。日本の朝鮮学校からハワイを経て渡ってきたジニを、オレゴンの自然と人が優しく受けとめ癒していく。」(112字)

冒頭オレゴンの高校のシーンから始まって、日本の小学校、朝鮮学校(学年でいうと中学校相当)時代を経て、再びオレゴンに戻ってくるという全体の流れですが、主人公ジニはなんでこんなに投げやりなのかしら?という謎が読み進めるにつれて徐々に明らかになっていきます。

何があったんだろうというのと、それからどうなるんだろうというのと、ジニの溜めこんでいくやりきれなさとで、ヒリヒリ感にドライブされて一気に読み進めてしまいますが、最後の最後、ラスト数ページでジニがやっと再生を果たすと、ホッとするというかぱっと開けるというか、舞台となるオレゴンの雄大な自然の中に溶けていくような感じがします。

あいにく朝鮮学校に通う子と直接話したことはないのですが、ああこういう感じに見える子もいるんだろうなぁと感じました。

ジニのパズル

ジニのパズル

 

 

「スポーツのちから:地域をかえるソーシャルイノベーションの実践」(著: 松橋崇史,金子郁容,村林裕)を読みました

読了。

「共有施設利用に関するルール浸透や利害調整など、地域スポーツ振興のためにコミュニティが果たす役割は大きい。一方スポーツが地域のつながりを強化し地域活性化に資するケースもある。スポーツと地域が互いを活かしあうためには、支援コミュニティの充実が必要である。」(125字)

地域コミュニティがスポーツを支え、スポーツが地域コミュニティを活性化する事例集としては面白かったです。松本山雅のことは他の本で読んだことありましたが、なでしこリーグ岡山湯郷ベルガイナーレ鳥取の成りたちは初めて知った!
それまでのスポーツ業界の常識からするとJリーグがいかに画期的だったか、というのはよく分かりました。

ただ、タイトルはやや盛り気味かもしれません。
いや、勝手に期待しすぎただけか?

強い支援コミュニティがあればスポーツ振興や(プロ)チームを作るのに役立てうるのはよく分かります。
一方で、なぜスポーツがコミュニティのコミットを引き出せるのか、スポーツの何(どんな魅力?)がそうさせるのかや、スポーツに関わることでコミュニティが強化されていく仕組みについての分析はほとんどなされていませんでした。
チャリティ×マラソンに一時期浸かっていた者として、まさにそこが知りたくて本書をひも解いたのですが・・・
その分析がなければ、たとえば「スポーツ」を「まつり」に変えたとしても同じような議論ができるでしょう。

また、本書では、支援コミュニティ=ソーシャルキャピタルとして言及していますが、せっかくソーシャルキャピタルの概念を導入するなら、それがどう「キャピタル」なのかについてももっと突っ込んで分析があっても良かったと思います。
つまり、スポーツの側が支援コミュニティを使うと、どんな効能が・なぜ現れるのか(これについては本書でも言及があります)、それが今度は支援コミュニティの蓄積・厚みをどう増す(減じる)のか・それはなぜか、という分析です。
キャピタル=資本ですから、生産的に使えば蓄積がすすみ、非生産的に使えば減耗します。(ソーシャルキャピタルの先行研究の中に適用可能なモデルや整理された議論もきっとあると思うんですがねぇ。)
スポーツだって、コミュニティをいい形に巻き込めばコミュニティを強化するでしょうし、悪い形でまきこめば破壊することだってあるはずです。
うまくいくケースといかないケースを分けるものは何なのか、本書はうまくいったケースだけを紹介しているので分かりませんが、そこにこそ本書を手に取った人の知りたいことがあるんじゃないでしょうか。

とは言っても、本書は博士論文を大学出版会が著書にして出版した本なので、そこまで求めるのはやはり読む側の期待過剰ですね。

今後の著作に期待することにしましょう。

 

スポーツのちから:地域をかえるソーシャルイノベーションの実践

スポーツのちから:地域をかえるソーシャルイノベーションの実践

 

 

「日本成長戦略 40歳定年制 経済と雇用の心配がなくなる日」(著: 柳川範之)を読みました

読了。40歳も近いのでどんなことが書いてあるかなぁと思って読んでみました。

「経済環境の変化が加速する中、生産年齢人口が減少し多様な働き手が働ける勤務体系が必要な日本は従来型の終身雇用の正社員一辺倒では対応しきれない。20年程度の中期雇用正社員を認め、望む人は能力開発しながら20年に1回キャリアを変え75歳まで働くという雇用制度・教育制度・転職市場が必要である。」(140字)

イデアとしては正論だと思います。
とは言えじゃあどうしたらみんなそっちの方に行くかねぇ?というところの詰めの甘さは否めず、“ジャスト・アイデア”の提示に留まっている感はあり。

2013年の著作ですが、3年後の今となっては労働力不足ゆえ人事制度はどんどん働く人に優しくなってきているので、自ずと”正社員”の多様化も進んでいきそうな印象ではありますが。
とは言え現状では「導入する体力のある企業」と「その働き口にありつける能力を持った人」だけが提供・享受できる機会に限られてしまっているので、広く浸透させていくには何らかの制度的裏付けが欠かせないだろうと思います。

ちなみに本書はあとがきだけ読めば筆者が伝えたかったことは分かるんじゃないでしょうか。
本文もほぼ同じ内容の繰り返しなので、時間がなくお手軽に済ませたい方や、ちょっと立ち読みで済ませたい方にはオススメの読み方です。

 

日本成長戦略 40歳定年制 経済と雇用の心配がなくなる日

日本成長戦略 40歳定年制 経済と雇用の心配がなくなる日

 

 

「憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2」(著: 井上達夫)を読みました

読了。

憲法9条を巡っては護憲派にも改憲派にも欺瞞がある。安全保障のあり方は共時的な議論を通じて見直していくべきで、憲法で内容を定め凍結すべきでない。民主主義は失敗から学び成長していく愚行の権利を保障する制度である。憲法改正の発議を奇貨として民主主義の冒険に乗り出さなければならない。」(138字)

広くリベラルと正義について論じた前著に対し、本作は憲法9条に論点を絞り、護憲派改憲派双方をぶった切っています。

護憲派の欺瞞には2種類あって、ひとつは自衛隊の存在さえ違法とする原理主義護憲派の欺瞞、もうひとつは専守防衛の範囲内であれば自衛隊日米安全保障条約は合憲とする修正主義的護憲派の欺瞞だそうです。

完全非武装中立を唱える原理主義護憲派には、他国に攻められても全く抵抗しないという絶対平和主義を貫くことを要請しており、それは一般の人々の感覚からすれば受け入れがたい過剰な要請であるということに目を向けない欺瞞、そして戦後日本の平和を守ってきたのは実質的に安保条約と自衛隊の存在であったのにその事実を認めず、訓練で殉職することもある自衛隊員を違憲状態に置くことを放置するという欺瞞があるといいます。

修正主義的護憲派は、自分たちも自衛隊は合法であるという解釈改憲をしているのにそれは棚に上げ、集団的自衛権についての解釈改憲を指弾しているという欺瞞がある。

一方の改憲派の方にも、表向き改憲の目的はGHQによる押し付け憲法を排することとしているが、実際向かっていく先は対米追従を深めるだけであるという政治的欺瞞がある。

ではどうするか?というと、そもそも安全保障論は、時と共に情勢が変わっていくこともあり、民主的な議論を通じて内容が見直され続けていかなければならないイシューであり、憲法で縛るべきでないから、憲法9条は削除すべきであるというのが、著者の主張です。

本来的な意味でのリベラルに立脚することを強く主張されているご本人にこんなこと言うと怒られるかもしれませんが、実は井上先生は正統な保守主主義の条件、抽象的理念でなく具体的な制度や慣習の蓄積を大事にすること、自由の維持を大事にすること、民主化を前提にしつつ秩序ある改革を重視すること(※出典「保守主義とは何か」宇野重規著)を満たしている人なんじゃないかと、ふと感じました。

憲法は必ずしも押し付けではない(=現制度の重視)、自由の維持を大事にする(=視点反転可能性のテスト)、秩序ある改革の重視(=憲法を盲目的に護持せず帰るべきは変える)、などなど。
保守主義とは何か」で日本の保守派が欠いていると指摘されていた何を保守するのかの根本的精神が、井上先生の場合、反転可能性テストをパスするかどうかという正義概念なのだと言えないこともないでしょう。(もっともこれは日本の歴史・蓄積から引き出された理念ではないですが)

保守とリベラルって、本当にそんなに相容れないものなんでしょうか??
あるべき論をするにあたってはリベラル、それを現実に落とし込むに当たっては保守主義、っていう使い分けはできないものなのかなぁ・・・

 

 

「見えざる手をこえて:新しい経済学のために」(著: カウシック・バスー)を読みました

読了。前世銀上級副総裁兼チーフエコノミストの手による主流派経済学への異議申し立ての書。

ゲーム理論によれば、個人も市場も規範や文化に影響される社会的存在であり、最適均衡実現のため政府介入が正当化される場合がある。利己的個人と自由市場を前提する主流派経済学が導く今の世界経済秩序が唯一最善ではない。貧困削減と過大な不平等是正に向け経済分析の枠組みを変えなければならない。」(140字)

「いやー、よかったねー」というのが読み終わってまず感じたこと。

冷静に分析と論証を重ねて安易な提案に走らないという慎重さを保ちつつ、まずは社会で貧困に追いやられている人たちの状況を改善し、次いで過大な不平等を是正しなければならないという課題に情熱を燃やす姿勢が文章の端々に感じられて、心打たれました。
世銀のチーフエコノミストがこの本の著者バスー教授でよかった、よかった。

分析的にも、アイデンティティによる身びいきや、人種的偏見が放置されると、市場機能を通じてどう経済的格差や差別が固定化・拡大していくかという説明や、一人ひとりの選択が本人にとって最善で個別には他人にも害悪を及ぼさないにもかかわらずそれが集合的になると全体の厚生を下げてしまうという大数の議論(eg.悪条件での雇用契約の受諾)は、読み応えがあって面白かったです。

国内で貧困削減と不平等是正をするためには、税率引き下げ競争などを招かないよう、国際協調が必要という指摘がされていました。

最近読む本はグローバルガバナンスをイシューとして指摘するものが増えてきたような印象があります。
Gゼロの世界を迎え、世界秩序をどう再構築していくかが知的なフィールドで本格的に検討課題として上がってきているのではないか。
そんな兆候を垣間見た気がします。

 

見えざる手をこえて:新しい経済学のために (叢書“制度を考える

見えざる手をこえて:新しい経済学のために (叢書“制度を考える")