ライフ・プロジェクト(著:ヘレン・ピアソン、みすず書房)を読みました

イギリスで実施されてきた第1次から5次(1946年、1958年、1970年、1991年、2000年の各年生まれを対象)にわたる「コホート研究」の歴史、時の政権から受ける影響、逆に時の政策に及ぼした影響をたどったドキュメンタリー。 

 

イギリスでは、同時期に生まれた子どもの様々なデータを縦断的に採取することによって、妊婦ケアの充実と周産期死亡率の低下、幼児教育の拡充による学力格差拡大の防止、その他疫学的な知見の獲得が実現されてきたという。

 

一番驚いたのは胎児から乳幼児である時期の過ごし方が、その人の後年の健康や社会的成功を損なうリスク要因をいかに広範に規定しているか、ということ。もちろん関係が深いとは思っていたけれども、想像以上のインパクトがあるよう。

一例として、胎児の時に母体の健康・栄養状態が不良であると、胎児の身体がその母体の状態で事足りるような『省略形』で組成され、例えば心臓が弱くできてのちの心疾患の遠因となっている可能性がある、ということが挙げられていた。

また子ども時代に精神的な健康を害された人は生涯で平均30万ポンド(約4,500万円)の収入を失うという推計もあり、これは全人口合わせると5,500億ポンド(約82兆円)もの逸失利益につながる。

一方、親が子どもの教育に関心を寄せ、学習環境の構築に努めれば(毎日読み聞かせをすることも含む)、子どもは社会階梯を上がり、自らの境遇を好転させることができることも明らかになったそう。こちらは子どもにとって生まれ落ちた環境から抜け出す余地が全くないわけではないことを示唆している。

 

だとすれば、医療的に見ても、社会・経済的に見ても、妊娠中・子育て中の親たちが子どものために自らの時間とケアを十分振り分けられる環境をつくることが、もっとも費用対効果が高い社会投資と言える。

きっとこのインプリケーションはイギリスだけに妥当するものではなくって、日本にも同様に当てはまるだろう。

やっぱり社会保障・福祉の資源配分はもっと大胆に見直さないと、いつまでたっても対症療法を繰り返すことにしかならないのではないか・・・。

 

ライフ・プロジェクト

ライフ・プロジェクト

 

 

<弱さ>のちから ホスピタブルな光景(著:鷲田清一、講談社学術文庫)を読みました

弱いロボットの思考で引用されていたのがきっかけで手に取った本書。

 

尼僧や障碍者作業施設の運営者に始まり、ダンスセラピストや華道家、果ては風俗嬢まで、さまざまなケアの実践者へのインタビューを行った著者は、さらけ出された弱さに思わず手を差し出してしまうという人の本能的な反応が、ケアする人・される人という上下関係を超えた対等な「他者」性(わたしが誰かにとって何らかの意味ある存在であるというアイデンティティ)の獲得を導きうるとしています。

 

この「本能的な反応」は、最近読んだ東浩紀氏の「弱いつながり」でも取り上げられていました。
そこでは、実際に現地を訪れてみることが(たとえ行かなくともネットで検索できるような範囲の)言葉になる前の体験をもたらし、そこで抱く「憐み」が観光客と旅先の場所の弱いつながり・連帯を生み出しうる、とされています。

 

どちらにも共通しているのは、困りごとに直面している場面にナマに触れることが、理性に先立つ<関わり感>をもたらすということ。

 

チームビルディングに成功している組織・プロジェクトや人を巻き込む力のある地域なんかは、これをうまく行っているんじゃないかという気がします。
別言すれば関わりしろの感じさせ方がうまい。

あんまり狙ってやると物欲しげすぎて気持ち悪くなりそうなんで、さじ加減は気を付けなければいけなそうですが…

 

思いがけずシリーズになった弱い・弱さテーマの3冊、意外な気付きにたどり着いてびっくりです。

 

2017年に読んだ本&お薦め5選

2017年も残すところあと24時間を切りました。
ということで、今年1年の読書記録の総括とお薦め本5編をピックアップしてみたいと思います。

 

リーディングリストをまとめてみましたが(※末尾)、振り返ってみると今年のテーマは、

「分断化した社会をどう生きるか」

であったようです。

 

経済的な格差の拡大、ポピュリズムの台頭と内向き志向、やまないテロ、難民の発生および排斥と、社会の分断化が世界中で進行しているしるしはそこら中にあふれています。
しかもオバマ前大統領が最近指摘した通り、SNSは人々を結びつけると同時に一定のネットワークの外の人々との交流を不活化して、社会の分断に拍車をかけている状況にあります。

 

そんな中でも、互いの存在を認め、一定の尊厳をもって、せめて並存できるような社会・世界に近づけるために何ができるだろうか?を模索している1年でありました。

 

では、おすすめに行きましょう!
まず2編。


1.「不平等を考える:政治理論入門」(著:齋藤純一、筑摩書房) 
2.「介入のとき(上)・(下)」(著:コフィ・アナン、岩波書店) 

1.は社会の不平等を
①どう評価するか(何を基準にするか)
②どんな制度で正すか(事前的介入/事後的介入)
③どう作っていくか(民主主義と平等)
を広く考察した著作。
入門と銘打たれた新書だけあってコンパクトで読みやすいですが、論点を幅広く押さえていて、さらに深掘りしたいと思うポイントをたくさん示してくれる一冊でした。(実際この本で引用されていた本をたくさん読みました。)

 

2.は元国連事務総長のコフィ・アナン氏の回顧録。
国連を主権国家ではなく人民のための組織とするため変革を試みたアナン氏が、次々起こる人道危機に際し、内紛当事国のトップや安保理常任理事国の首脳・外相と息の詰まるような協議・交渉を行った様子が生々しく描かれています。
グローバルジャスティス(世界正義)はなぜ必要か、現実にはどう「作られて」いるのかを知り、いかにあるべきかを考えるきっかけを本書にもらいました。

不平等を考える: 政治理論入門 (ちくま新書1241)

不平等を考える: 政治理論入門 (ちくま新書1241)

 
介入のとき――コフィ・アナン回顧録(上)

介入のとき――コフィ・アナン回顧録(上)

 
介入のとき――コフィ・アナン回顧録(下)

介入のとき――コフィ・アナン回顧録(下)

 

 

上で偉そうなこと書いたわりに、個人的にはいかに軽やかに、小回りきくように生きていられるかにとても関心があります。
なんとか好意的にみるならば、ひとりひとりが、何かに縛られず自由にのびのびと自らの生を生きることを追求できる、というのが自分の理想としてあって、それを個人的にも世の中的にも実現したい、というのが両面的に出てきているということでしょうか。
ジャンルとして、<生き方のオルタナティブ>とでも名付けられるような一群の本を詠んでいました。
その中のおすすめの一冊がこちら。

 

3.「なめらかなお金がめぐる社会。」(著:家入一真ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

クラウドファンディングサービスCAMPFIREの代表取締役、家入さんの著作です。 
なぜCAMPFIREをやっているのか、CAMPFIREが支えようとしている「小さな経済圏」とはどんなものでそれがこれからなぜ有効なのか、が書かれています。
本業にせよ、副業にせよ、(もしかしたらこういう区分がもはやなくなっていくのかも)ビジネスというかお金が回っていく仕組みをどう考えていくか、思考するスタンスのヒントがもらえる一冊だと思います。

 

※よそで十分評判なので本編では選に含めませんが、「LIFE SHIFT」は今年読んだ全ジャンルの本の中でも指折りの画期的な一冊でした。

続いては今や人としてどう生きるかを考える時に切り離せなくなっているTech分野から。
AI、ロボットは昨年読書の一大ジャンルでしたが、今年に入ってちょっと毛色の違う、もっと地に足ついた本が出てきているなぁと思いました。

4.「2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方」(著:藤野貴教、かんき出版)

シンギュラリティや汎用AIといったまだちょっと未来に起きることをああでもない、こうでもないと右往左往しているくらいなら、直近の2020年までにAIでできそうなことに着目し、人間にしかできないことをやりながらどう協働するのがいいか実例案も交えて紹介しています。

銀行でさえ人員をAI・ロボットに置き換えようとする今、人にしかできないことを考えるヒントが得られると思います。 

2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方

2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方

 

 

最後に、昨年からの続きの<日本とは?>のジャンルから。
日本的なるものの精神を知りたく、日本家屋や神道、思想(特に保守)分野の本もさんざん読んだのですが、ベスト1はこの本。

 

5.「日本の長い敗戦」(著:橋本明子、みすず書房

 

敗戦を社会的トラウマとして捉えたとき、戦後日本でそれをどう乗り越えようという動きがあったのか、それに対応するように日本人の安全保障観や、改憲をめぐるスタンスがどう形作られてきたのかがよくわかる一冊でした。

 

 

さて、来年はどんな本との出会いが待っていることでしょう。
まだ見ぬ出会いを楽しみにしつつ。


=======2017年読書目録=======

各書籍の詳細はこちらから見られます

【「社会の分断」と処方箋を考えるヒント】
〇中東・イスラム
 アラー世代・シリア難民・引き裂かれた道路・ボコハラム
〇正義論
 介入のとき・世界正義論・わたしが正義について語るなら・自分とは違った人たちとどう向き合うか・正義のフロンティア・正義のアイデア・正義への責任
〇貧困・社会保障
 生きづらさについて・不平等を考える・共生保障・生活保障・ヒルビリー・エレジー
〇政治
 接続性の地政学・人々の声が響き合うとき
〇金融
 なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?・愚者の黄金
〇アート
 最後の秘境東京藝大・アート×テクノロジーの時代

 

【生き方のオルタナティブ
〇時間(軸)
 自分の時間を取り戻そう・LIFE SHIFT・瞬間を生きる哲学・生産性
〇企業組織のオルタナティブ
 POWERS OF TWO・スタートアップ・持続可能な資本主義・なめらかなお金がめぐる社会。
〇地方
 団地のはなし・和僑・プラチナタウン・弱いつながり
〇シェア空間
 まちのゲストハウス考・シェア空間の設計手法・空間メディア入門

 

【techとヒト】
・Door to Door 移動の未来・インターネットの次に来るもの・テクノロジーは貧困を救わない・デジタルゴールド・ブロックチェーンの衝撃・クラウド時代の思考術・2020年人工知能時代の僕たちの幸せな働き方・中国モノマネ工場・そろそろ、人工知能の真実を話そう・ヒトラーのデザイン・弱いロボットの思考・シェアしたがる心理

 

【日本性】
〇家
 日本の家・民藝とは何か・日本のかたち―民家・民家・日本の家屋と生活
神道
 神道入門・日本人の神入門
〇政治
 日本会議の研究・それでも、日本人は「戦争」を選んだ・学問と「世間」・日本の思想・保守とは何か・暗い時代の人々・自民党

 

【Life Huck
・TED TALKS・仕掛学

 

【小説】
蜜蜂と遠雷・あの子は貴族

 

【哲学】
・孤独と不安のレッスン・メノン・ジブリアニメで哲学する

 

その他
・教育費破産
・北京レポート
・仕掛学

弱いつながり 検索ワードを探す旅(著:東浩紀)を詠みました

今日的な意味での『旅』の真価とはなんだろう?

ストリートビューを開けば、世界中いたるところの街並みを、景色を、自分の居どころでたちどころに目にすることができる。
SNSを除けば各スポットの映える写真・動画がアップされている。
旅は2次情報を追いかけ、なぞり、追認するだけのものでしかないのか?

はたまた、都市から地方に移住する人や多拠点生活する人が増え始めるにいたり、さらっとうわべだけをなでるように各地を訪れる旅に、人は手ごたえを感じるのだろうか?

 

そんなもやっとした問いを抱えていたところ、たまたまこの本に行き当たりあっという間に読み終えました。本書の論旨としては、

・環境の産物にすぎない人間が、すこしでもかけがえのない自分を生きるためには、意図的に環境をかく乱するしかない

・特に、SNSでのエコーチェンバー現象や、フィルタリングのパーソナライズが進んだインターネットは環境を固定化する傾向が強い

・固定化から逃れるためには、インプットを変えることが必要であり、そのためには身体を置く環境を変える=旅に出るしかない

・村人でも旅人でもない、観光客として、日常にたまにノイズを入れる生き方もいいのでは

・軽薄で無責任な観光客だから弱いつながりのネットワークを張ることができる

・実際に行ってモノに身を晒すと言葉による解釈を超えた動物的反応が起きる、そこで抱く「憐み」に連帯の可能性を見出すことができる

といったところ。

 

それで、もともと抱えていた問題関心への応答で言うと、実際に旅に出ることにはそれでもやっぱり意味がある(と著者は言っている。)
VRのヘッドセットを取ってすぐに現実に戻るのではなく、身体を移動させる時間がかかるということが大事で、その移動の時間に違った環境からのインプットを得て新しいワードでの検索を試みようという欲望が生まれる。
それに、ネット上には言葉になったものしかアップロードされていない。でも言葉に依存して生きている以上、言葉にならないもの・経験を言葉にする努力は常に必要である。それには言葉に先立って言葉にならないものに触れに行く、つまり旅して経験することが必要になる。
人がどれだけ情報フィルタリングや環境から逃れられなくとも、その中で豊かに生きようとするには、検索する言葉を豊かにするしかなく、それには旅することが有効だ、というのが著者の主張。

 

もうひとつの移住・定住と無動の間の点では、観光客でも十分である(と著者は言っている。)
確かに観光客はうわべをなでるだけの軽薄で無責任な存在であるが、観光客として実際に行って触れるからこそ言葉より先に立つ動物的反応が起こって弱いつながり(weak tie)を持つことができ、弱いつながりにしかできないことができ言えないことを言うことができる。

 

VRの発達が進むと、旅は、(自分が)「行く」ものではなく、(コンテンツが)「来る」ものになるのではないかと思っていたりしたのですが、物理的に身体を移動させる意義が見出せてちょっとホッとしました。

加えて、お客さんと旅先の関係をどう築いていけばいいのか、切り口と深さのところで立ちすくんでいたのですが、それもお客さんにとっては日常のノイズで十分で、旅先にとっては弱いつながりの人で十分、と割り切れて少し肩の力が抜けそうです。

 

何か特別なアクティビティやコンテンツ目がけるわけなく(もちろんそれもそれでありですが)、異質(そう)なモノに実際に触れに行くーーこれからの旅のコアな真価はそのあたりが強くなっていくんじゃないかと感じました。

 

 

正義論、行きつく先は議論

井上達夫さんの「世界正義論」がきっかけでいつか読もうと思っていた正義論シリーズ。今がそのタイミングになりました。3冊はどちらかというと理論寄り、もう1冊は具体的な難民問題を題材に考察した本でした。

理論寄りの3冊はいずれもロールズの正義論(先験的制度主義)を批判的に再検討しつつ、違った正義へのアプローチを模索する内容のもので、かいつまむとこんな感じの概要です。

 

「正義のアイデア」(アマルティア・セン著)

・最上の制度的枠組みを求めるより、目の前の不正義を少しでも緩和するためにどのように社会選択を行うのがよいか?を考えるアイデア=ケイパビリティアプローチを提示(包括的な理論ではない、ということを認めている)

 

「正義のフロンティア」(マーサ・ヌスバウム著)

ロールズなど先験的制度主義をとる正義論の限界を踏まえ、顕在化してきている新たな地平(障碍者・外国人・動物)に対応できるような正義論アプローチを目指した野心的取り組みで、センは示すことを控えるケイパビリティのリストも示している

 

「正義への責任」(アイリス・マリオン・ヤング著)

・1人1人の正義との向き合い方を考察、各アクターが既存のルールにのっとって行動しているにも関わらず特定の集団の不利性が固定化されてしまうような構造的不正義とかかわりなく生きていける個人はほとんどいない

・構造的不正義は特定の個人や制度が原因ではないので、罪を着せることがその解決に向けた責任の根拠にはなりえず、自らの選択・行動が不正義の再生産に関わっているという責任の分有が根拠となる

・構造的であるがゆえに個々のアクターだけでは不正義は解消できず、取り組みは自ずと社会的・政治的となる

 

一方残りの1冊、ヨーロッパで巻き起こっている反難民の動きという特定のイシューにつき考察しているのが「自分とは違った人たちとどう向き合うか」(著:ジグムント・バウマン)で、根底には自己責任の名のもと個人化が過剰に進み、恐れや抑圧を抱えたヨーロッパ各国の市民が難民をスケープゴートにしており、政治家も便乗して難民問題を安全保障化するなどして人気取りに走っていると分析している。

 

4冊連ねて読んでみて共通して見られたのが、正義の実現には議論すること・会話することが欠かせない、という主張。

 

・ケイパビリティアプローチを有効に作用させるには、何が指標としてふさわしいか、ある施策がケイパビリティを向上させうるか、どの指標をどれだけ向上させることがたとえ他の指標を差し置いたとしても望ましいのか、などを議論を通じてその都度決めていかねばならない。

 ・構造的不正義を正すには、個のアクターがそれぞれの立場・ポジションで孤立して選択を変えてもシステム全体を変えるには至らないので、他のアクターに変革に参加するよう促すような政治的な動き、コミュニケーションが必ず必要になる。

・難民を分かり合えない違った人ととらえ続けることから脱するには、途中衝突や紆余曲折があるにしても会話を続けていくしか道はない。

 

 やはりというか、偏りのない公正な社会的選択を行い、不正義を改善して正義に近づけていくには、様々な人の間でのコミュニケーションが欠かすことのできない鍵であるようです。センは民主主義とは、この公共的討議を通じた統治であって、投票・選挙のみが民主主義を作っているのではないという見方に与していました。

 

国境をまたぐ正義ってなんだろう?どうやって存在・成立根拠を持たせられるのだろう?個人として自分ができることは何なんだろう?というのが正義論シリーズを読もうと思った動機だったのですが、何をおいても議論・対話することが欠かせないのだというごくありきたりな結論が、どの本・アプローチからも導かれて、単に素朴なだけでなく、「あ、それでいいんだ」と素直に思えるようになったのは収穫でした。

グローバルジャスティスの話に限らず、やっぱり熟議・議論する継続的な場や機会をつくることはいつかやってみたいなぁ。

 

正義のアイデア

正義のアイデア

 
正義のフロンティア: 障碍者・外国人・動物という境界を越えて (サピエンティア)

正義のフロンティア: 障碍者・外国人・動物という境界を越えて (サピエンティア)

 
正義への責任

正義への責任

 

 

 

「持続可能な資本主義」(著:新井和宏)、「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」(著:家入一真)を読みました

一方は独立系投信・鎌倉投信の取締役、一方は(主に)クラウドファンディングサービス・CAMPFIREの社長と、違った立場のお二人ですが、立脚している問題意識は通底するものを感じました。

それは、どちらも効率性・規模を最大化しようとする資本主義のあり方に疑問を呈しているということ。

その対案として取り組まれているのが、鎌倉投信の場合が信頼をベースに「いい会社*」に長期投資するという運用姿勢であり、CAMPFIREの方が資金調達を簡単にして小さな経済圏の形成を促すという金融包摂の拡充です。

 

*「いい会社」とは自社のミッションを積極的に拡大解釈して、ステークホルダーの幅を広げ、そのステークホルダーと価値を創造し分かち合っている会社のこと。

 

零細企業の代表としては、事業を、会社を、どう組み立てていくか、深く考えさせられる2冊となりました。

よくよく考えて思いあたったのは、その人にしかできない旅行の企画というのは、個人が小さな経済圏を築く一手段となりえるし、それは旅行先にとっても新しい来訪の形が増えて喜ばれるかもしれない、ということ。

人数・回数が多くなくても、「好き」という個人的な好みや思い入れが形になって、それに共感した人が集まるグループというのは、旅先の土地と一回だけではない、継続的なかかわりができる可能性もあるんじゃないだろうか、という希望的観測も。

あとは何となく社内で抱えている業務も、どう切り分けて、誰にどう担ってもらうと、全体として生み出せる価値が上がるのか、とかも検討の余地がありそうです。

 

大きくて長いものから飛び出す自由が、良くも悪くも増えた今だからこそ、小さくてもgoodな経済的生態系をどう作るか考えるヒントになる本でした。

 

持続可能な資本主義

持続可能な資本主義

 

 

RED―ヒトラーのデザイン(著:松田行正)を読みました

ヒトラーが大衆操作に用いたデザインを解説した書。

 

ナチ党のシンボル・ハーケンクロイツの運用だったり、ポスターのアングル・陰影の使い方だったり、直線的な設計だったり、過去に成功した事例とモダニズムの要素(モダニズムそのものは嫌悪していたらしいので、あくまで要素)をうまくミックスして、大衆の心理に訴えかけるブランド・デザインが、ヒトラーは天才的にうまかったらしい。

 

やや下からあおり気味に撮られた遠くを見据える顔のポスターで力強さを演出したり、色を使ったイメージづくりを行ったり、大勢に同じ動作(行進など)を繰り返しさせてひとりひとりの思考能力・判断力を奪っていったり、宗教的な要素を取り入れてみたり、日本の政党でもやってるねぇというテクニックが出てきて、「ははぁー、これか!」と随所で膝を打ちたくなりました。

これを全部統一的なディレクションのもと貫徹させるとあのような熱狂的な支持が生まれてしまうんだなぁ。日本の政党は不徹底でよかったと思うと同時に、紙一重なのかもしれないと、ちょっとうすら寒くなりもしました。

 

映画や写真、新聞・ポスター等の資料もふんだんに掲載されていて、ヒトラーのデザインの仕掛けを視覚的にも感じられる一冊です。

 

RED ヒトラーのデザイン

RED ヒトラーのデザイン